「32年前の決断は人生最高の選択だった」

2019年12月02日(月)
「32年前の決断は人生最高の選択だった」
   
南カリフォルニア在住 寺口麻穂さんからの投稿(全文)です。〔1982年卒(中・高)〕
 
1988年に渡米したので、アメリカ生活も32年目になりました。短大卒業後、一旦社会に出ましたが、外国に出て視野を広げたい!と言う気持ちが強くなり、アメリカ留学を決意しました。両親には一年だけという約束でしたが、結局そのままアメリカでこんなに長い年月を重ねています。
 
英語学校を卒業した後に進んだ大学で文化人類学という面白い学問と出会い、その後大学院まで進んで人類学を研究。素晴らしい教授たちにも恵まれ、学会で論文を発表できる経験もしました。10年余りに渡るサンフランシスコ・ベイエリアでの生活にピリオドを打ち、車で大陸横断してニューヨークに移住。新しい土地で自分を試してみたいという気持ちからでした。独特の個性を持つ街ニューヨークは、常に強烈なエネルギーを発していて、弱肉強食の世界。アリシア・キーズの歌にもあるように、あの街でやって行けるなら他のどこに行っても通用すると言われる通り、私自身も正に生きるためのサバイバル術を学びました。
 
東海岸に移った直後の事でした。あの悲惨な9・11同時多発テロ事件が起こったのです。あの事件をきっかけに、私の人生にも大きな転機がやって来ることに。あれだけ多くの罪もない人の命が、人生が一瞬にして変わってしまうという悲劇を目の当たりにし、心の奥底が揺れ動きました。「人生このままでいいのか?きっと私がすべき使命があるはずだ。そこに辿り着かなくては…」そんな問いを自分にぶつける毎日でした。そんなある日、一度きりの人生、一番好きなもの(犬)に携わることこそが自分の使命なのでは?と気付き、アニマル・レスキュー活動を始めました。実は、9・11事件が起こる半年前に、虐待され心身共にボロボロに傷ついた犬を引き取っていたという事もあって、世の中からこんな思いをする犬がいなくなるようにしたいと強く思い始めていたからです。
 
愛犬が保護されたアニマル・シェルターでのボランティア活動から始め、その後は、もう少し大規模なシェルターで、そこのドッグトレーナーに付いて犬の行動と心理をも徹底的に勉強しました。世界で一番好きなものに時間とエネルギーと愛を注ぐことで大きな満足感を得るようになりました。犬の里親になるためシェルターを訪れる人たちにカウンセリングやマッチングを提供する係も勤めました。マンハッタンのシェルターでは職員としてシェルターにやって来る犬達の性格判断テストを担当。それぞれの犬がどんな家庭に適しているかを探り、アダプションの成功率を良くするものです。しかし、来る日も来る日も溢れる余る数の犬たちがシェルターに捨てられてやって来る。ほぼ100%が人間の勝手な理由からです。何の罪もない犬猫たちが人間の勝手で捨てられ、行き場がないと安楽死させられてしまう…。レスキューの世界で活動する人ほぼ全ては、この世からシェルターの必要が無くなればいいと心から願っています。そんな現状に、知らず知らずのうちに心がボロボロに傷ついていました。
 
しかし、これが自分の人生の使命。一日一匹でいい、一人でいい、その犬生・人生を変える手伝いができれば良しとしようと唱え続けました。今まで習得した知識を周りと共有することがこの悲しい現実を少しでも改善する手段だろうと、犬の飼い主のために犬を学ぶクラスを開催したり、雑誌で犬の連載記事を7年余執筆し、読者の人たちと共に現実を学ぶ機会を作りました。現在は、ちょっと一休み。ボロボロに傷ついた心を癒して、再びエネルギーが沸き上がって来たらまた大好きな犬と人間の橋渡し活動に戻る予定です。
 
東海岸でそんな15年を過ごした後、スペースとゆとりを求めに二代目の愛犬と車で大陸横断をし、再びカリフォルニアに戻ってきています。今はまだ自分にエネルギーが有り余っているので、ここののんびりペースにイラっとすることもありますが、そのうちこのほんわか感が心地良くなるのだろうと…。アメリカ市民権も取得済み。真正面からアメリカで暮らそうと思ったからです。アメリカは本当に厳しい国です。日本人がイメージするアメリカからは、かなりかけ離れていると思います。留学当時、先に渡米していた人が「5年過ごしたらすっかり見方が変わるよ」と言っていましたが、その通りでした。でも、私にとってはここで得られるもの全てが大切で、32年前の決断は人生の最高の選択だったと思っています。
 
現在は、南カリフォルニアのトーランス市に所在する会社でHR Managerとして日々忙しく働いています。週末には、土曜日本語学校で教鞭を執ることもあります。色んな事に関わって、色んな人と出会って、色んな発見をするのが私の生きる糧。これも女学院で培った「前向きでオープンな価値観」と信じています。また、いつ日本に帰省しても、どんなに時が経っていても両手広げて歓迎してくれる女学院時代の友人たちは私にとって一生の宝物です。
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