昭和39年卒 同窓会報告

2017年08月28日(月)

酒井 英明(昭和39年卒)

 東京オリンピックの開催、東海道新幹線の開通と高度成長期の始まりつつある昭和39年に我々の仲間25名は、官庁・ゼネコン・コンサル等々に就職し、全国に散らばって行った。その後元気だった若き企業戦士は、高度成長期を支えて功労者として頑張ってきたが、半世紀以上が過ぎ、メタボとなり、髪は薄くなり白髪が混じり、足腰も弱くなり背中も曲がったり、また何らかの病気を抱えていたりしていた。
 25名の内、石原・岩﨑・長友・冨重の4君は既に亡くなり、池田・遠座・勝本・川上・後藤・酒井・田水・立山・馬場・浜川・久野・藤井・松尾・与那城・渡辺の15名が平成29年5月23日(火)、青島のリゾ-トホテルに集まった。それまで約10年毎に開催されていた宮崎での同窓会も、定年退職後、太宰府、湯布院、桜島、長崎、京都、大阪と約1年半毎に開催されるようになった。しかし、同窓会も今度が最後だろうと、皆の提案で懐かしき宮崎でと、久しぶりの開催が決まる。身体が衰えてきたとはいえ、声だけは皆達者で「よう!!久しぶり、元気だったか!!??」とそれぞれが再会を喜び合った。趣味のこと、家族のこと、病気のことや近況を語り合い、ビ-ルや焼酎を酌み交わす内盛り上がり、あっという間に3時間が経過した。
 翌朝、元気な者は、片道30分弱の青島に出掛けた。鬼の洗濯岩に囲まれたビロウヤシの茂る青島は、今も全く変わることなく日向灘に浮かんでいる。8時過ぎからホテルを後にし、車4台に分乗して木花の宮崎大学の新キャンパスへ向かう。移転して既に30年近くが過ぎていると思われるが、まだ一度も訪ねていない者も居て、今回の見学となった。我々の孫のような学生が次々と通学してくる中、出口先生と久保さんが出迎えて下さり、出口先生から懇切丁寧にキャンパスの概要を受けた。その後、久保さんに工学部の講義棟や実験実習等の案内をして貰う。それにしても比較にならないほどの素晴らしい環境の中にあるキャンパスだ。忙しい中、出口先生、久保さん本当に有り難うございました。
 また旧宮崎大学の跡地も訪問。工学部の跡地は、JAの大きなビルと広い駐車場となり、全く当時の面影は残っていない、また農学部や学芸学部の跡地には、公共の建物等が建てられ緑豊な公園となり、宮崎市民の憩いの場に変身していた。最後に平和台公園に出掛け、工学部正門からここまでレベル測量の実習を行った事等を思い出す。当時見渡すことのできた宮崎市街地の建物も、樹木が大きく成長し見晴らしは悪くなっている。この公園内のレストランで昼食会とし、我々の「喜寿同窓会」は、終わった。そして再会を約束して解散し、それぞれの家族の元へと帰って行った。その解散を待っていたかのように南国宮崎に小雨が降り始めた。
 今回の同窓会が最後となる筈であったが、相変わらず皆元気だと言う事で、次回も1年半後に関西で開催されることになった。それまで健康に留意し、元気な顔をまた見せて欲しいものである。また今回欠席者の参加も期待している。地元の世話役に感謝します。

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