今工会の沿革と事業内容

大正6年4月 本会は当時の学制による本科第1回修了生と在校生によって組織された大阪府立今宮職工学校校友会をその創始とする。
大正11年4月 大正7年3月本科第1回卒業生、同8年3月夜問部第1回卒業生を始めとして、逐年卒業生会員の増加に伴い、諸般の事情を考慮して在校生と分離し、大阪府立今宮職工学校同窓会として独立し時の母校々長佐藤秀也先生を会長に推戴し、又母校奉職の会員を幹事に委嘱して会務を運行した。
大正13年3月 この年より学制改革による高級科第1回卒業生の入会を加え、自後逐年会員の増加率を高め歴代幹事の努力を相侯って本会の基礎も漸次強固に会勢隆昌に向う。
昭和8年5月 順調に会勢伸展の一途をたどった本会であるが前年来病臥中であった佐藤会長が年余の病床より再び起たれず、逐に不帰他界の悲運に遇いその前途を憂慮されたが、同9月母校後任校長桐渕勘蔵先生を後任会長に迎え、結束を新たに再発足した。
昭和9年11月 佐藤秀也先生頌徳記念事業の概要
不世出の名校長として本会生みの親であり育ての親である佐藤先生他界されて早くも1年有年半、先生の高徳を偲び温容を追慕する会員の心情は「佐藤秀也先生頌徳記念事業」の発起となり遂に「頌徳誌の編纂」及び「銅像の建立」の二重となって赤心は発露された。
 頌徳誌の編纂・・・・・・昭和9年11月3日発行
 綱像の建立・・・・・・・同日除幕式母校玄関右側
先生の銅像は大東亜戦争荷烈となった昭和18年5月抜魂の上献納された。
昭和10年10月 本会創立すでに20余年を経て古参会員は早くも不惑の年令に達し、その社会的地位も有力となり、従って本会の対外活動の機運も熱したのでその機構をこれに適合さすため、年次総会において会則の大改正を行ない会員自治制の第一歩として理事制を採用し、会務運営諸制度の整備強化をみた。
昭和12年10月 本会は時局の要請に応じ母校に併設された第二部卒業生の入会を承認し会員に加えた。
昭和13年4月 永年の懸案であった母校夜間部が、大阪府立夜間職工学校の校名の下に独立したので、本会では両校卒業生を一丸とする同窓会として会員の増加と共にその前途を期待されることとなった。
昭和16年12月 本会の会名については会勢の伸展につれ変更を痛感し、連年総会の都度論議を重ねながら名案を得ず実現を見なかったが、さきに夜間部の独立、本年9月両校が夫々工業学校と改称されたのを機会に年次総会の議題で「大阪今工会」と改定。新会名の下、充実された諸機関の活用と支部制度の普汲により益々、強力な存在となった。
昭和17年10月 本会第2代会長として充実期を指導に預かった桐渕母校々長は軍需産業界の従弟教養に転進されることとなり、後任校長として淀川工業学校より木梨直蔵先生を迎えたので本会でも同先生を第3代会長として迎えた。
昭和18年4月 母校創立30周年記念事業として、すでに計画募金7,000円余にて、母校講堂の一隅に「英霊奉斉殿」を造営し、この日をもって、殉国会員、配属将校陸軍中佐出射剛、職員陸軍小尉伯谷健一他3柱および、会員陸軍大尉吉岡勝也51柱の英霊を祀り、同遺族母校職員生徒ならびに会員500名参加して、英霊を奉斉する。又創立記念式後盛大なる恩師謝恩会が催された。
昭和19年4月 支那事変より大東亜戦争との時局の重大な中にあって前線、銃後の会員の緊密な通信連格雄々しい活動を続けたが、昭和18年後半より苛烈な戦争と災禍は遂に本会も活動困難な代態に立ち至り、会務運行も非常体制となり僅かに母校を中心に連緒可能な役員の範囲において臨機の措置を講じて危機に処し捲土重来を期する外なかった。
昭和22年6月 天皇陛下が大阪府の産業復興状況卸視察に西下日程中、母校戦災復興の校舎、施設等はもとより教育の実態について御視察を仰ぐ。
昭和22年10月 終戦後雌伏の裡にも再起活動の熱望に燃えていた本会は、先ず母校復興の為に種々の対外活動を痛感し対策を考究したが、木梨会長は本会の活動上諸般の事情を考慮され、会長を正会員中より選任せよとの方針を示され、直後の緊急役員会において副会長増田好朔氏を会長に選任し、同時に木梨前会長は相談役に推戴された。
昭和24年3月 戦後の学制大改革により母校は今宮工業高等学校と改称されたが、その第1回卒業生の入会をみた。
昭和24年10月 母校々長の異動により新校長として佐野工業高校より諸熊壮一先生を迎えたので同先生を本会新相談役に推戴した。又木梨直蔵先生は淀川工業高校へ栄転されたが本会は何先生を名誉会員に推挙した。
昭和25年12月 本会は再起活動の第一歩として母校々舎の復興に協力したが、又多大な困難を克服して会員名簿を復活編集した。その任に当った理事、幹事各位の努力は筆紙につくしがたいものと推察された。本会はこれにより数千名の会員動静を確認することを得て本格的再活躍の軌道にのり得た。
昭和27年3月 昭和18年以来改選困難なまま重任となっていた評議員始め全役員の改選を行なうと共に新時代に即した会務の進展を図るため会則改正を行ない又この年6月には待望の「大阪今工会報」を復刊した。なお新役員の改選就任と同時に2年後に迎える母校創立40周年記念事業を設け記念事業の企画推進を図ることとなった。
昭和29年12月 過去5年余母校の完全復興のため尽痒された諸熊壮一先生は校長異動により友校布施工高へ栄転され母校へは後任会長として、かつて母校に学び更に神戸高工に進み、卒業後母校の教職に20余年、先年弟友校城東工業高校へ校長として栄転された、本会出身の又野重信先生を再び母校へ迎えた。
昭和30年1月 本会が母校創立40周年記念事業として企画した会館の建設をはじめ、物故会員慰霊祭及び恩師謝恩会等の諸事業は、会員多数の共感賛助を得て多額の記念事業基金が醸集され、1月22日、23日両日母校新校舎の落成祝賀式と相次ぎ厳粛な慰霊祭、盛大な謝恩会が挙行された。なお会棺建設については本会が中心となり母枚当局並びにPTA等の支援を得て早急に建設実現に邁進することとした。
昭和34年5月 母校創立40周年記念事業中の最大事業として期待された今工会館の建設は、関係方面の熱意ある協力と支援により準備全く整い33年秋、総工費7百万円を以って着工され、本会の宿願であった今工会館が34年5月15日竣工、盛大な竣工祝賀式を挙行し、母校の一角にその雄姿を実現した。なお会館1階には食堂が開設され、特に定時制在学の後進諸君に給食の便を計ることになった。
昭和38年10月 本会は終戦後いち早く復活活動の歩を進め、母校の後援、名簿の復刊、会報の発刊、役員の改選、母校創立40周年記念事業の完遂等当面の急務を処理し、会員の総数すでに1万数千名に達する状態となり益々前途を嘱望さるに至ったが、然かも母絞創立50周年を明年にひかえ、再び記念事業その他重要会務を措置する為役員の改選、強化を図かり万全を期し、記念事業委員会の設置及び同実行委員会の編成、記念事業委員会事務局の開設等により記念事業の計画準備に発足した。
昭和39年2月 昨年末新役員会において記念事業の基本方針が決定されたが、これに基づき2月実行委員会により具体策の成案を得て、先ず会員に対する記念事業基金募集、終身会費の改訂、徴収の協力依頼と共に会員相互の親睦、連絡の強化等に対する方策の具体化を図った。
昭和39年10月 母校創立50周年記念事業として企画された物故者会員慰霊祭及び恩師会等の諸事業は多数の会員諸氏の絶大な賛助を得て多額の記念事業基金が拠出され10月8日母校において厳粛かつ盛大に挙行された。なお50周年を記念して新会員名簿を縦組みより横組みに改編し刊行する。又母絞「50年のあゆみ」の刊行に参画、当日記念式典に参加の会員に配布する。
昭和40年4月 在職10年余母校の発展に尽力された又野重信先生は3月の校長異動により御勇退され後任校長として、堺工業高校より稲葉達雄先生を迎えたので同先生を本会相談役に推戴した。前校長又野重信先生を名誉会員に推挙した。
昭和42年9月 本会員として初めての母校々長又野重信先生が逝去されて早や1年、此の間先生の高徳を慕う会員有志の発起により又野先生頒徳誌刊行会が結成され1周忌を期して頒徳誌「又野先生を偲ぶ」を編纂刊行する。
昭和43年2月 本会創設50周年記念事業委員会結成さる。記念事業として50周年記念史「今工会50年史」の発行、慰霊祭、謝恩会の実施を決議する。
昭和43年11月 母校において本会創設50周年記念総会および記念式典、祝賀式を盛大に挙行、50周年記念誌「今工会50年史」を贈呈する。なお多年に亘り本会躍進に尽力された功労者に感謝状を贈る。
昭和44年4月 母校々長稲葉達雄先生は3月の校長異動により御勇退され、後任校長として藤井寺工業高校より吉田良治先生を迎えたので、同先生を本会新相談役に推戴した。また前校長稲葉達雄先生を名誉会員に推挙した。
昭和44年8月 昭和22年初めて本会正会員より選出された増田好朔会長は22年間の長きに亘り母校復興、本会再建の重責を完遂され今日の隆盛を築かれたが8月13日突然心臓に発作を起こし永眠さる。
昭和45年1月 増田前会長死去による後任会長選出の為臨時評議員会が開催さる。推薦委員会より会長佃徳四郎氏、副会長松本寅吉氏、同梶田正造氏が推挙され全員一致これを決議する。
昭和45年11月 新制高校発足以来22年、新しい力と知識を本会にも導入する時期となり、全役員を改選、新評議員を選出する。
昭和46年12月 本会々則細則の内、会務執行内規の改正案が提出承認された。
昭和47年6月 本会員数の増加に伴い、会務執行の敏速確実性を得る為に事務局の組織を改変する。従来の諸機関に新たに企画部を設置し、又会報及び会員名簿発行の時期、編集委員会及び事業委員会を設置追加する。なお諸機関の強化を図るため12名の新常任理事を推薦、全理事承認の上会長より委嘱さる。
昭和48年4月 母校々長吉田良治先生は3月の校長異動によりご勇退され、後任校長として母校教頭田口達造先生が昇格きれたので同先生を本会顧問に推鷹した。また前校良吉田良治先生を名誉会員に推挙した。
昭和49年1月 本年母校創立60周年に当り本会では記念事業実行委員会を組織し、記念事業内容の検討、母校実行委員会並びにPTA実行委員会との連携脇力を確認する。
昭和49年5月 本会実行委員会では諸般の事情を考慮し本会60周年記念事業を本年併せて行なう事を決議し、先に決定を見た記念式典、謝恩会、物故者慰霊祭及び本会資料館の設置等、諸事業完遂の為総額700万円の募金活動の具体策を建案審議する。
昭和49年11月 母校並びに本会60周年記念事業として企画された記念式典、謝恩会等の諸事業は、目標額をはるかに上回る多額の基金が拠出され、11月10日大阪市中央公会堂において厳粛かつ盛大に挙行された。本事業に賛同を戴きご寄付を願った会員諸氏には母校編集による「60年のあゆみ」を進呈する。
昭和54年5月 本会創立60周年記念事業の一環として、母校体育館落成を記念し、体育館舞台用鍛帳並びに附属品一式を寄贈する。体育舘落成記念式典後、本会およびPTA共催にて盛大なる祝賀会を開催する。
昭和56年1月 評議会並びに理事会を開催し、本会々務の執行が敏速かつ確実性を得るため会則の改正案を提出承認された。
昭和56年1月 昨年来病気静養中の佃会長より辞意の表明があり、後任会長並びに会則改正による副会長、会計監査選出のため評議員会並びに理事会が開催さる。推薦委員会より会長松本寅吉氏、副会長梶田正造氏、同喜治繁次氏、同仙石年夫氏が推挙され全員一致これを決議する。なお前会長佃徳四郎氏を顧問に推挙する。
昭和56年4月 母校々長田口達造先生は3月に御勇退され、後任校長として母校教頭、島谷敬一先生が昇格されたので同先生を本会の顧問に推薦、又前校長田口達造先生を名誉会員に推挙した。
昭和57年11月 元副会長阿部八郎氏永眠される。
昭和58年5月 理事会を開催し、母校創立70周年にあたり、本会では各記念事業に協力することを確認する。又本会としては慰霊祭、60周年よりの資料飴の整備を別途計画す。
昭和58年11月 佃会長の後、昭和56年度より会長として本会発展のために御尽力下さった松本寅吉会長が11月30日交通事故により急逝される。
昭和59年1月 役員会を開催し、役員人事を倹討する。
昭和59年4月 母校々長島谷敬一先生は3月に御勇退され、後任絞長として布施北高校より大西力先生を迎えたので同先生を本会の顧問に推薦、前校長島谷敬一先生を名誉会員に推挙した。
昭和59年5月 理事会を開催し、推薦委員会より会長に梶田正道氏、副会長に喜治繁次氏、新舎吾郎氏、仙石年夫氏が推挙され全員一致でこれを決議する。
昭和59年7月 長年会長として御功績のあった佃徳四郎氏が昨年より入院治療中であったが7月28日やすらかに都丸眠される。
昭和59年10月 10月14日母校創立70周年記念式典を母校体育舘で、同祝賀会を国際ホテルにて開催。(会長以下会員40名参加)本会より70周年記念として母校玄関に掛時計、校長室にカラーテレビを寄贈する。
昭和60年3月 本会70周年記念事業として3月8日四天王寺本坊にて、母校職員並びに会員の物故者慰霊祭(158柱)を開催(御遺族学校関係、今工会関係94名参加)
平成元年11月 母校全科実習棟が全面改築、1号棟、2号棟、3号棟竣工
平成2年1月 1月28日実習棟竣工式が挙行される。
平成2年4月 母校々長大西力先生は3月に都勇退され後任校長として本校教頭、牧田秀雄先生を迎えたので同先生を本会の顧問に推薦、前校長大西力先生を名誉会員に推挙した。
平成2年5月 梶田正造会長、及び喜治繁次副会長の辞意の表明があり、理事会を開催し、役員指名委員会より会長に新舎吾郎氏、副会長に仙石年夫氏、湯浅明尚氏、杉本孝三氏、中川清氏、安原傳氏が推挙され全員一致でこれを決議する。
平成2年6月 新実習棟が大阪今工会々員に公開される。
平成3年4月 母校印刷工業科がグラフィックアーツ科と科名変更された。
平成3年5月 長年副会長として御功績のあった、喜治繁次氏が5月17日やすらかに御永眠される。
平成3年9月 部活動振興会援助基金が創設され、基金の募金事業を行なう。
平成4年2月 専門一次入試始まる。
平成4年3月 グランドの防球ネット完成。
平成4年6月 教室棟のクーラー使用開始。
平成4年8月 中学生の体験入学始まる。
平成4年9月 第2土曜日休業日となる。
平成5年3月 学園の森の整備工事。
平成5年4月 母校々長牧田秀雄先生が3月に御勇退され後任校長として府教育委員会より石川俊一先生を迎えたので同先生を本会の顧問に推薦、前校長牧田秀雄先生を名誉会員に推挙した。
平成6年10月 10月3日母校創立80周年記念式典をマイドーム大阪で、同祝賀会を国際ホテルにて開催。
平成7年3月 家庭科棟竣工。
平成7年10月 本会80周年記念事業として10月14日四天王寺本坊にて、母校職員並びに会員の物故者慰霊祭(348往)を開催(御遺族学校関係、今エ会関係60名参加)
平成8年4月 定時制課程に普通料を新設。
平成8年7月 80周年記念事業として今工会館の改修工事を府の協力を得て3月29日に竣工。7月20日に今工会館改修披露パーティを開く。2階に今工会資料室を造る。
平成9年1月 新舎吾郎会長の辞意の表明があり、指名委員会及び理事会を開き、新会長に副会長の安原傳氏を会長に推挙し全員一致でこれを決議する。
平成9年4月 会報30号発行。
平成9年6月 理事会で会報を全会員に郵送する方針を決め、その財源を確保するため郵送協力金(一口1,000円)をお願いすることを決める。
平成10年7月 理事会を開催し21世紀にふさわしい今工会の発展のため具体的検討にはいる。
平成11年4月 会報31号発行
平成11年7月 安原傳会長の後を受け、7月の理事会において参与の峯山昭範氏を会長に推挙し全員一致で承認する。
平成12年7月 「大阪今工会」の名称を「今工会」と改称すること等会則の改訂、創立50周年後実施されていなかった「総会」を13年度に実施することを提案し理事会で承認を得る。また、母校後輩の部活動を応援するため、平成3年に設置された「部活動振興会援助基金」が10年を経過したことから、それを充実させるため、「部活動振興援助基金」募金事業を提案し承認を得る。
平成13年5月 会報32号発行。「部活動振興援助基金」募金始める。総会に向けてのアンケートはがき全会員に配布する。
平成13年8月 総会に向け常任理事会を開催する。
平成13年10月 10月21日(日)母校で総会を実施する。
平成16年の創立90周年に向けての準備会を立ち上げる。
平成15年5月 会報33号発行。創立90周年の募金事業を開始する。
平成16年10月 大阪国際会議場(グランキューブ大阪)にて母校創立90周年記念式典が盛大に挙行される。
平成17年 4月 学校名が「大阪府立今宮工科高等学校」に改称される。
平成17年 5月 会報34号発行。
平成18年 6月 会報35号発行。
平成18年10月 たかつガーデンにて総会を開催する。
平成19年10月 指名委員会・理事会を開催し、新役員を選任する。
平成20年 3月 大阪府立今宮工科高等学校としての第1回卒業式が挙行される。
平成20年 7月 会報36号発行。
平成20年10月 たかつガーデンにて総会を開催する。
平成21年10月 指名委員会・理事会を開催し、新役員を選任する。
平成22年 8月 会報37号発行。
平成22年10月 道頓堀ホテルにて総会を開催する。
平成23年10月 指名委員会・理事会を開催し、新役員を選任する。
平成24年 8月 会報38号発行。
平成24年 10月 道頓堀・敦煌にて総会を開催する。
平成25年 9月 会報39号発行
平成25年10月 指名委員会・理事会を開催し、新役員を選任する。
平成26年6月 会報39号特別号発行
平成26年11月 大阪国際会議場(グランキューブ大阪)にて母校創立100周年記念式典が盛大に挙行される。
平成27年9月 会報40号発行
平成27年9月 指名委員会・理事会を開催し、新役員を選任する。
平成27年10月 道頓堀・敦煌にて総会を開催する。