母校だより

母校だより

「定年退職にあたって」 堀 利行(平成20年着任)

 私は医学部の出身で、一般病院で臨床研修を終えた後、大学院では白血病の研究で学位を取得しました。その後、米国留学、京都大学ウイルス研究所勤務を経て、1998年から医学部の講師をしていました。2008年4月に本学のびわこ・くさつキャンパス(BKC) に生命科学部が設置されたときに、その中に新しく作られた生命医科学科の教授として着任しました。
 医学部と理工系の学部ではかなり教育カリキュラムが違います。医学部は6年制であり、専門科目がすべて必修で、上級生には臨床実習が課せられますが、卒業研究はありません。そのため、こちらに来た当初は、戸惑うことが少なくありませんでした。
  私が着任した初年度には、理工学部の化学生物工学科の学生3人が卒業研究生(卒研生)として私の研究室に配属されました。これまでとは違う学科の、しかもどんなことをするか分からない研究室によく来てくれたと思います。その後も自学科の1期生が4回生になるまでは、化学生物工学科または情報理工学部の生命情報学科の学生が卒研生として配属されました。2010年度からは、所属は理工学研究科のまま、修士の大学院生2人を受け入れました。そして、2011年度に自学科から卒研生が配属されるようになったとき、ようやく生命医科学科が学科とし自立できたと感じました。2012年には学部の上に正式に大学院生命科学研究科が開学しました。
 自学科1期生の卒研生についてはよく覚えているのですが、内部進学した学生は1人だけで、その他は企業に就職するか他大学の大学院へ行ってしまうというような状況でした。しかし、その後は毎年、数名の内部進学の学生を受け入れてきました。思い返すとそれぞれに個性的で熱意のある学生ばかりで、そのような院生たちや卒研生たちと研究室で過ごした日々を懐かしく思い出します。
 こちらに来て数年間は、医学生物系の研究機器が揃っておらず、あまり研究できる環境ではありませんでした。同僚の教員たちと協力して大学本部にも働きかけた結果、1期生が修士の大学院へ進む5年目頃から少しずつ研究できる環境になってきました。
 私は、医学部の講師時代に、Hippo経路という細胞の増殖や生死を制御する重要なシグナル伝達経路の主要な構成分子であるLats2/Kpmという分子を同定単離し、その分子およびHippo経路について研究を行っていました。本学に来てからも、主にHippo経路に関連したテーマで研究を続けてきました。それに関する最近の研究成果について簡単に紹介させていただきます。
  慢性骨髄性白血病(CML)という病気は染色体転座によって生じたBCR-ABLというチロシンキナーゼによって起こりますが、その下流シグナルに関してはまだ十分に解明されていません。われわれは、BCR-ABLに間接的にHippo経路の転写補助因子のYAPがチロシンリン酸化されて活性化し、細胞の不死化や増殖を促進する遺伝子の発現を誘導することを明らかにしました。CMLはグリベックあるいはその後に出たタシグナなどの分子標的治療薬により、治癒可能な疾患と見なされていますが、中には薬剤耐性のものもあり、その克服のためには、さらなる病態解明が必要です。われわれの研究が新しい治療法の開発に繋がることを期待しています。
  本学には12年在籍し、2020年3月に停年退職いたしました。思い返せば、大学院に入学してから40年近く、医学研究に関わってきました。こんなに長く、好きな研究を自由にやらせてもらえて、本当に幸運だったと思います。4月からは、特任教授として、いくつかの講義と実習を担当していますが、折からのコロナウイルスの問題で、多くが遠隔授業となり、キャンパスへ行く機会が減っています。それでもまだしばらくはキャンパスでお会いすることもあるかと思います。今後、生命科学部、生命科学研究科がますます発展することを祈念いたします。