2018年9月に送付いたしました「平成30年度 蘇遙会情報誌」において、間違った表記をしております。
下記の通り訂正いたします。
大変失礼致しました。
また、1ページ目のタイトル枠と左側の写真が、印刷会社との連絡不足により、上方にずれて印刷されておりますことをお詫びいたします。
 
  • 1ページおよび12ページのタイトル枠内
     「土木建築学科土木コース」 → 「土木建築学科」
  • 1ページ左枠 1行目
     「◆土木建築学科土木コース」  → 「◆土木建築学科(土木工学教育プログラムおよび地域デザイン教育プログラム)」
  • 1ページ 左枠 学生数 【学部】
     「1年《土木コース》」 → 「1年」
     「2年《社会環境工学科》」 → 「2年」
     「3年《 同 》」 → 「3年」
     「4年《 同 》」 → 「4年」
  • 1ページ左枠 蘇遙会事務局住所
     「熊本大学工学部土木建築学科土木コース内」 → 「熊本大学工学部土木建築学科土木教室内」

情報誌およびデータカードが、転居等で住所不明のためお届けできていない方が多数おられます。
まだお手元に届いていない方がおられましたら、事務局あてご連絡ください。
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私は昭和16年12月、太平洋戦争(当時は大東亜戦争と呼んでいた)開戦と同時に熊本工業学校、卒、翌年2月1日、西武22部隊(熊本)に入隊した第1次学徒出陣組です。すぐ中支予備士官学校(現在の中国、南京)、ここで俄か将校にしたてられ、以後、各地転戦、終戦は4000キロ南方のニューギニャの昼なお暗いジャングルの中でした。

昭和20年8月15日、終戦、
戦争が終わっても帰る船がなく、やっと帰国できたのは翌年、昭和21年7月14日和歌山県、田辺港でした。ニューギニャの戦死者は2万人以上、その大部分は餓死、戦病死と言われているので、私たちは、まさに死に損ないの敗残兵、悲痛な思いの帰国でした。 
戦後、知人の紹介でモービル石油(世界最大の石油会社)に入社、昭和55年、同社を定年退職しました。(3年間学んだ土木業務とは関係の少ない会社でした)
 
蘇遙会の皆さんの各地の楽しい素晴らしい活躍、毎年、楽しく拝見しています…
見ていると自分も一緒に活躍しているようで、旅行しているようで楽しくなり新しい元気が湧いてきます、お忙しいのに、こんな年寄りにまで、何時までも、このような楽しいお便りをいただき、感謝、感謝です、ありがとうございます。
 
しかし、私は、もう98歳、80年も遠い昔、熊本時代の懐かしい学友たちの音信がなくなりました、また、先の戦争でニューギニャで一緒に苦闘した戦友たちの音信もなくなり大変寂しくなってきました、しかし、先日、9月17日、こちらの敬老会(役80名参加)で別紙のようなうれしい白寿記念状をもらい、また、新しい歓び、元気が湧いてきました。
即ち、支配人が、突然、私を呼び、益々お元気な白寿の吉満さんでーすと、みんなに私を紹介されたので、びっくり、場内から一斉に拍手、嬉しい悲鳴でした。楽しい敬老祝賀会でした。(このような昔の諺は、昔の数え年で祝うそうです)、
 
私は足腰が弱り歩行困難、それに年々物忘れがひどくなってきましたので惚け防止に…と、白黒の石を並べたり、パソコンをいじったりして、なんとか頑張っています、よろしくお願いします。ここでも私が最高齢のようで吉満先輩と呼ばれ恐縮しています。
 
蘇遙会の益々の発展、躍進、何時も横浜から応援しています。
 
平成30年10月10日 吉満 肇
 
(以上原文通り)
 
 
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工学部 社会環境工学科
環境建設材料工学研究室
4年 N. K.

この度は、平成29年度の太田育英奨学金を授与していただき心よりお礼申し上げます。給付していただいた奨学金は、以下の活動に使用させて頂きましたのでここにご報告いたします。

1. 実施した活動内容
  2017年7月22日から8月5日にかけて、ドイツで行われたワークキャンプに参加しました。Freudenstdt遺産協会は約20年間もの間、管理者が不在であったWaldhaus Grandhotelを修復することで街の文化遺産を保存することを目的としています。1899年に建設されたWaldhaus Grandhotelは、シュバルツバルトの森に囲まれ雄大な自然を感じられるホテルでもあり、今回のワークキャンプでWaldhaus Grandhotelの歴史を学ぶとともに、荒れ果てたシュバルツバルト自然公園を再び利用できるように除草、土砂の除去および修復活動を行いました。ワークキャンプは座学と実践的な活動の二つに分かれ、座学のパートではFreudenstadtの街の歴史やホテルの歴史を学び、ワークキャンプの参加者が自国の文化遺産について英語で10分間のプレゼンテーションを行いました。さらにワークキャンプを組織するEuropean Heritage VolunteersやFreudenstadt遺産協会の組織体制について学びました。シュバルツバルト自然公園には、ホテルの建設と同時に造られた用水路があり、劣化の進んだ石壁の取り換えにも取り組みました。また見学ツアーとしてFreudenstadtの街の伝統的な建築物や街の広場を見学し、その歴史やデザインコンセプトについて学びました。ワークキャンプの運営は全て英語で行われ、自炊や滞在先の掃除など当番制で行い世界中から集まった参加者と協力してプロジェクトに臨みました。

2. 得られた成果
 今回のワークキャンプの活動を通してFreudenstadtの街の文化遺産とシュバルツバルト自然公園を保存することに貢献し、Waldhaus Grandhotelと街の人々との歴史を学ぶことで文化遺産の価値を後世にまで保存することの大切さを学ぶことができました。そしてFreudenstadt地区に住む方が一丸となってWaldhaus Hotelを保存しようとする意義を学ぶことができたと思います。実際に自分自身がシュバルツバルト自然公園の修復活動をして自分の肌でその歴史に触れ、自然遺産・文化遺産がいかに価値のあるものなのかを体感することが大きな意味を持つのだと感じました。
 日本の建設物などについては便利さを追求する一方で、歴史的な価値を持ちうる建物までも壊してしまう場合があります。その背景には、維持管理のコストの高さやより良い暮らしを求める日本人の気質があると予想されますが、ドイツではお金が掛かってでも文化遺産を保存することに価値があるということをマネージャーの方や遺産協会の方のひた向きな姿から学ぶことができました。またホテルと自然公園の修復費用を抑えるために、ワークキャンプをして参加者とプロジェクトを進めることは非常に良いことだと思いました。ワークキャンプの参加者は豊かな知識と経験を積むことができ、遺産協会としてはプロジェクトに掛かる費用が抑えることが出来るので日本でもこのようなワークキャンプという形で外国人の方を受け入れ、文化遺産などを保存していければよいと感じました。
 またFreudenstadtの街の方々に向けた10分間のプレゼンテーションについては、英語学習の成果を感じることができました。これまで行ってきた英語学習が身を結び、プレゼンテーションに関しては自信を持って自国の文化遺産について紹介することができました。さらに自分のプレゼンテーションだけでなく他国からプロジェクトに参加した人たちの発表を聞くことで異なる文化を共有し、新しい発見をすることができたと思います。

3. 今後の課題
 私が参加したワークキャンプでは英語で会話をすることを基本としていたため、TOEICの受験などを通して英語学習に尽力していました。スコアの向上も見られ、自分の英語能力に自信が持てる程になりましたがワークキャンプの参加者と実際に会話をする際には、まだまだ自分の英語能力は未熟なのだと再確認しました。ワークキャンプ中の活動や会話を通して英語学習は、継続的に行うことが重要であり、現在も勉強している英語学習を続けることが重要なのだと感じました。
 またワークキャンプ終了後の卒業研究においても、ワークキャンプで経験したことや尽力したことをバネにして取り組むことができたと思います。教材を使用して基礎的な知識から専門的な内容まで学ぶことができましたし、興味関心を強く持って掘り下げた研究ができたと思います。またワークキャンプ中に出会った人から受けた刺激や経験したことから、大学院に進学してからも研究活動や大学院修了後の就職活動においても幅広い視野を持ってあらゆる可能性に挑戦したいと思いました。

 以上の活動を主たる用途として太田育英奨学金を利用いたしました。貴奨学金をいただいたことで,大変充実した1年を過ごすことができました。この1年間で経験した貴重な時間は、これから大学院で研究をしていくうえでも非常に価値のあるものであったと思います。今後の大学院生活では、この貴重な経験をもとに、さらなる精進を重ねていきたいと思います。最後になりましたが、本奨学金を授与していただいたことに、重ねて深く御礼を申し上げます。
 
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平成30年度運営委員会が、平成30年5月18日(金)午後3時より、熊本大学工学部仮設校舎B棟1階会議室において行なわれました。 出席者14名により、「平成29年度事業報告及び決算報告」、「平成30年度事業計画及び予算案」 などについて話し合いました。
 
内容については下のPDFをご覧ください
 委員会終了後は場所を移して意見交換会が開かれ、OBの方々と現役学生の交流が行なわれました。
 
 

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土木建築学科になりました

2018年04月02日(月)
 今日から新しい1年がスタートし、4月4日には新入生を迎えます。
 そして2018年の改組に伴い、熊本大学工学部は学科の再編が行われました。「社会環境工学科」も「建築学科」と統合され、「土木建築学科」となりました。
 1年次ではまず、幅広い知識を習得する教養科目を中心に学習するほか、学部共通の科目を履修します。2年次からは、「土木工学教育プログラム」、「地域デザイン教育プログラム」、「建築学教育プログラム」の3つの専門教育プログラムに分かれて学習します。
 詳しくは下記より土木建築学科のホームページを閲覧ください。

土木建築学科のホームページへ
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平成30年3月25日(日)、桜の花満開の中、熊本大学の卒業式、修了式が県立劇場で行われ、その後工学部2号館に移動して、社会環境工学科の卒科式が執り行われました。
今年は学部81名、修士38名、博士3名が卒業・修了しました。
学部生のうち35名が熊大大学院前期課程、修士生1名が大学院後期課程へ進学の予定です。
 
  
 
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  • 2つ目の就職先も5年目になりました。元気でフルタイム勤めています。(S50卒 T様)
     
  • 無職・独居。意味(言葉・文字・記号・画像)依存(想起・連想・記憶)の生活習慣(理解・判断・表現・行動)を解消中(行深般若波羅蜜多時)です。(S38卒 T様)
     
  • 益城町の自宅、やっと一応の修繕を終え、墓石の再建もできました。近々熊本市内の実家の解体工事が始まる予定です。工学部創立120周年記念式典で、復興への励みが高まることを期待しております。(S50卒 T様)
     
  • 工業会東京支部,山水会土木部会総会にはまめに参加し,皆さんと交流しております.(S42卒T様)
     
  • 歩行不自由でよく転倒します。最近も店頭で腕を骨折、治療中です。(S22工専卒 T様)
     
  • 病気のため、会社を完全リタイアし、現在は療養中です(S49卒 N様)
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熊本大学蘇遙会への寄付のお願いにつきましては、温かいご厚意を賜り、まことにありがとうございます。
蘇遙会の活動および学生部活動支援において、有効にお志を使わせていただく所存でございます。

(敬称略、寄付受付日降順) 
卒 年 姓 名 金 額
昭和54年卒 松田 邦宏 2,000 円
旧職員 三池 亮次 10,000 円
昭和48年卒 飯田 正文 2,000 円
昭和54年卒 安村 智 5,000 円
昭和54年卒 中川 博文 1,000 円
昭和33年卒 神野 隆至 2,000 円
昭和42年卒 森 好生 3,000 円
昭和60年卒 堤 安希佳 2,000 円
昭和50年卒 宮崎 晴之 11,000 円
昭和29年卒 高尾 忠次 12,000 円
昭和54年卒 御手洗 泰博 3,000 円
昭和34年卒 江藤 洋朗 2,000 円
昭和31年卒 藤田 武良 2,000 円
平成01年卒 酒井 雅章 1,000 円
昭和45年卒 石井 忠光 2,000 円
平成02年卒 山岸 直之 1,000 円
昭和53年卒 佐渡 克己 5,000 円
旧職員 鈴木 敦巳 10,000 円
昭和37年卒 大久保 正博 2,000 円
昭和39年卒 山内 英治 27,000 円
昭和48年卒 森 健治 1,000 円
昭和23年卒 渋谷 伍朗 6,000 円
昭和57年卒 紫村 宗仁 1,000 円
平成12年卒 瀬口 貴光 1,000 円
昭和43年卒 田島 恒美 1,000 円
平成23年卒 九鬼 智絵 3,000 円
平成01年卒 若杉 洋一 1,000 円
旧職員 﨑元 達郎 10,000 円
昭和31年卒 二神 榮一 7,000 円
昭和35年卒 米村 信幸 2,000 円
昭和38年卒 林田 紀久男 3,000 円
平成04年卒 亦野 和宏 1,000 円
平成07年卒 東山 文雄 2,000 円
昭和39年卒 土谷 肇 2,000 円
昭和59年卒 西本 逸郎 1,000 円
昭和34年卒 今井 博昭 7,000 円
昭和37年卒 藤木 一夫 2,000 円
昭和49年卒 玉井 英二 3,000 円
昭和50年卒 戸塚 誠司 5,000 円
平成05年卒 野仲 典理 3,000 円
平成12年卒 片岡 祐介 1,000 円
昭和35年卒 中島 英治 6,000 円
昭和44年卒 山本 辰美 1,000 円
昭和50年卒 田中 博志 10,000 円
昭和53年卒 岡﨑 健二 2,000 円
昭和48年卒 佐野 泰二 21,000 円
昭和43年卒 右田 泰弘 5,000 円
昭和55年卒 佐保 嘉則 2,000 円
昭和32年卒 小野 満司 5,000 円
昭和23年卒 西澤 忠實 7,000 円
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中嶋國一様 ご寄稿

2018年01月22日(月)
前略
 大学を出て、50年。半世紀過ぎて、自分の来し方、職業の選択についての自分の失敗談書いて何になるのかと考えるが、本当に老婆心ながら、土木、建設会社に就職する方が多数なので不要と思いながら尚、迷っておられる方が一人でもいたらと思いペンを走らせております。

私たちは昭和19年・20年生まれの年代で、戦争は直には覚えていません。しかし終戦後の焼跡や闇市(やみいち)の存在を知る年代です。
 私は、もし自宅が貧乏でなければ“政治”に非常に関心があったので早稲田の政治学科に行きたかった。それで熊大の法科も考えましたが、教科書を長崎書店で読んで、又、はっきり言って、見栄もありました。法科は点数が低くて意欲がわかない。土木は“政治”に近いという何とはなしの感覚で土木科にしたというのが偽りない心境です。

 さて大学での4年間最初の2年間は教養ですからドイツ語とちょっと国文学をちょっとの勉強で、あとはバイトか遊ぶかです。教養の時間は今でも変わりないと思います。何か教養の時間に特別勉強してますか、是非お聞かせ願いたい。
 大学生時代は、本当に大切な、一生の友人を作る天の与えられた貴重な4年間でした。専門外の法科の学生、また女子大の女学生との一生涯の友を作る期間でした。
大学時代は早朝の牛乳配達を4年間、家庭教師を2年間、九州地区土木系学生会会長を2年間(今でも九州地区土木系学生会ってあるのかな)、話し方教室の副代表を2年務め、大学のコンパの後には新市街の歓楽街で安酒を飲みそこの女たちと話したことなど色々と思い出のある時代です。
 さて、専門課程の2年間では、施工管理の会社に進むなら会社の概要(資本金、従業員数、全国規模か地球規模の会社か等)熊大の先輩がいるならその人たちの出世の程度、他の大学が部長や専務になっているかなど調べました(会社四季報等などなどみれば十分)。専門を「河川」と望むなら「河川工学」の専門書5冊程度暗記するくらい学べば(独学で)充分でした。あとは卒業できるだけの「可」、「60点」以上であれば充分。
 建設会社(大成とか大林とか鹿島など)実習に行っておおよその察しはつくと思いますが、不安なら熊大の土木の先輩の所へ訪ねて行って仕事の内容、賃金、出世、退職後の事など充分下調べして、進路・会社選びをすればいいと思います。

 役所は専攻する人が少ないので参考意見として記憶に留めてください。
 私は大阪市役所の都市開発局連絡係に配属になりました。市の研修で先ず大学では、北海道大から東北大、東京大、大阪大、大阪市立大、京都大、徳島大、山口大、九州大、鹿児島大と専攻は別でも73名いました。その人たちが幹部候補生です。
 最初の2年間で役所での出世、給与、人間関係、組合の事、行政の事、大阪のしょって立つ日本での地位、等々つぶさにわかります。大阪市役所で局長になれるのは京都大学出身者のみ(一部東大もいるがわずか)、あとの大学卒は課長どまり。よくて部長だ、というのが実態でした。また、行政を経験して、政治家を目指す人もいました。行政については本も沢山出ているので、興味のある人は読んでくれたまえ。
 政治についても様々な角度から学んで欲しい。各政党のマニフェストや世界情勢を理解した上で、どこの党に投票するか決めよう。それが大学を出たと言う試金石だ!

 さて、現在は、幼稚園児相手に幼稚園でお話しや、小中高生との文通などと、そろそろ小中生への講演をしようと考えている。また、全国の障害者の方と文通したり、日曜日キリスト教の外人宣教師(アメリカが多いが)と、宗教は別にして文通をする予定である(英語の基礎の勉強優が今に生きる)。面白いぞ、生きるとは
 それでは長くなってご免。
草々
 
やわらかに 積もれる雪に熱てる頬を 埋むるごとき恋してみたし                啄木
夕立に心ときめき肩触れて ビルの谷間に消える二人よ                           雲
ブランコが上手にこげぬと甘ったれ 又もぐずるよその母みつつ                  雲

 
※ご意見やご質問のある方は下記コメント欄へメッセージを下さい。(中嶋)
 
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平成29年11月8日 KKRホテル熊本

 2年ごとに各地を回り同期会を開催しています。平成28年の熊本地震で開催を多少迷いましたが、復興の応援も含めて、10年ぶりに熊本で開催しました。
 ご婦人同伴の大沢、金津、春口君を含め17名参加となりました。会の初めに、(長嶋終生名誉監督に倣って)終生名誉クラス代表味澤君の挨拶と乾杯で開宴、しばらくの歓談ののち、近況報告に移りました。各君、それぞれに、趣味を楽しみ、地域活動に活躍され、充実した日々を送っていました。なかには、現役の人もおり、元気さに驚かされました。一方で、欠席の返事の中には、体調不良の人も数名いました。歳を実感しました。
 中締めは田島君の祝いの謡、平野君の巻頭言、武夫原で締めました。その後、部屋に移り、往時のこと、現況そしてこれからのことなど夜遅くまで語りあい、楽しい得がたい一日を過ごしました。
 翌朝は、熊本城天守閣の復興工事の様子が目の前に見えるレストランで朝食を済ませ、次回長崎か福岡での再会を約し、散会となりました。
文責 右田泰弘

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