卒業生便り

いかに面白いか 栗原 香織(造形1期)

2018年10月18日(木)
 港南造形高校を卒業した後、京都精華大学で4年間陶芸を専攻し、その半年後にフランスへ留学しました。現在は陶芸作家として独立し、パリのアトリエを拠点にフランス・ヨーロッパで作品を発表しています。
 2010年にフランスに渡って、アンジェという街で語学学校に通い、その後2年間パリのジュエリーの学校に通いました。ジュエリー作家や陶芸家などさまざまな分野の作家に出会う生活の中で、卒業後は作家としてこの国に居たいという思いが強くなりました。独立するためには準備の時間が必要で、さらにヴェルサイユ市にある美術学校に在籍し“これから”を模索しながら、学校とは別に友達の陶芸家のアトリエを借りて制作を続けました。2015年にフランス工芸協会が主催するコンクールで若手作家賞を受賞したことがきっかけとなり、ジュエリーではなく陶芸に進むことを決めました。翌年にアトリエを得て独立、美術学校卒業と同時に制作の毎日が始まりました。今は展覧会やサロン、陶器市に参加し、作品を発表して生活しています。最初にフランスに来た頃は2、3年の滞在を考えていましたが、あまり先の事は考えず、予定の立てられる範囲の“今”を重ねていたら、8年目を向かえていました。
 小さい頃からものをつくることは好きでしたが、仕上がった作品に対して美しいという表現ではなく、面白いという見方があることを港南造形高校の時に学びました。この「いかに面白いか」という感覚は当時の私にはとても新鮮で、また、この感覚こそがものづくりを好きでいられること、続けられることにつながっていると思っています。
 今年はロンドンでのアートサロン、スイスのカルージュでの個展、パリでの陶器市に向けて準備しています。毎日アトリエに向える生活は夢のようで、最高に苦しい。でも好きな場所で好きな仕事をするのはやはり幸せです。
 

30周年記念メンバー、再び・・・ 山﨑 功典(港南11期)

2018年10月18日(木)
 港南高校7期生 栗田ロビン、11期生 山﨑功典、13期生 中村譲司、19期生 大山藍。
 4年前の港南高校・港南造形高校創立30周年記念式典にて、対談会を行ったメンバーです。
 記念式典以後、栗田ロビンさんのお声かけで毎年4月に集まって、ある時は鴨川沿いで桜を見ながら、またある時はジョージさんのアトリエで、酒を酌み交わしています。
 今年はジョージさんのアトリエにて奥様にもご参加いただきました。
(以下、それぞれの近況です。)
 栗田 ロビン
 この一年半ほどは、漫画作品が連載手前までいっては流れる、を繰り返しております。
しかし、その度に作品がバージョンアップしておりますので、年内には、作品が連載されると思います!
その際には、改めてご報告させて頂きますので、どうぞよろしくお願いします!
 中村 譲司
 大阪に生まれて港南高校を卒業するまで18年大阪で育ちました。卒業後、京都の大学へ進学し現在まで京都で過ごしてきました。ちょうど今年で京都生活19年目になり、大阪での生活より京都での生活の方が長くなりました。
 最近「Kyotoism」という言葉を使うようにしています。京都の生活が自分の体に染み付いてくることで"京都らしさ"というものが、おのずと作品にも染み込んでいっている事を大切にした考え方です。
 近年、アジアの文化に興味を持ち始め、お茶の文化に触れることがキッカケで茶器を作るようになり、市場が国内から国外へ向くようになりました。
 自身の制作の拠点である京都の文化から「Kyotoism」を世界へ魅せる事が今の私の制作の楽しみになっています。
 大山 藍
 そうですね、大きく変わったことは家庭を持つことになりそうだというところですかね。笑
 あとは2年ほど前に音楽を辞めようと、活動を休止していたことです。
 「本当に大事なもの」を選りすぐっていくのが生きてくことだと思うので、私にとって音楽は大事なものでしたがそれが、どれくらい大切なのかを確かめるために、一度立ち止まる、ということをしてみました。
 結果、自分の人生に表現、歌うことが、心身共に切り離せないものだと気付き、歌うことの意味が少し変わりました。
 これから、どんな変化があっても、その時に寄り添い表現していくことが、私のやりたいことだなと思うので、それをずっとやり続けること、惜しまないこと、が、今の目標です。
 山﨑 功典
 依然、北摂つばさ高校に教諭として勤務しています。今年から「美術工芸表現コース」を立ち上げ、港南造形高校に対する「美術が盛んな学校」を作ろうとしています。
 港南高校の美術科やモダンクラフト科のみなさんは出品されていた方も多い「高校展」の運営にも携わらせていただいており、毎年母校港南造形高校の生徒作品を見るのを楽しみにしています。
 
 同じ「港南」の卒業生であり、違う時代の「港南」を過ごした4人ですが、30周年記念式典がきっかけで繋がった不思議な縁に感謝しています。

モダンクラフト科 中村 理恵子(港南10期)

2018年10月18日(木)
 20歳の同窓会を最後に、この20年間、だんだんと会う機会も減り、一年に一度の年賀状にモダンクラフト科の風味を感じつつも、旧友たちとは疎遠になっていました。
 今回、桑畑先生のご退職と我々の40歳という節目の年とが重なり、昨年の11月に20年ぶりの港南高等学校10期生モダンクラフト科同窓会を開催いたしました。
 不安からか、やけに多い幹事総勢12名であれこれと準備し、卒業以来の先生方に正座で電話をかけてみたり、お店の下見という名のプチ同窓会を重ねました。おかげさまで同期29名と、森田耕太郎先生、森田佳子先生、峯山聡先生、桑畑健二先生がご出席下さいました。岡田篤彦先生には動画メッセージという形でご参加いただきました。
 あの頃の私たちは、今のJKとはほど遠く、スカートは膝下必須、メイクどころか眉毛も整えず、雨の日も風の日もポートフォリオを片手に満員電車に乗り込み、週末は課題に追われ、なのに毎日楽しくて仕方がないという日々を過ごしていました。
 あれから22年、近況を報告し、文集や卒業アルバムを眺め、若気の至りエピソードで盛り上がりました。
 ちなみに、20年ぶりにお会いした先生方はどなたも、あの頃の私たちよりも楽しく過ごされているようでした。
 ご参加下さいました先生方、同期生の皆さま、本当にありがとうございました。
 またお会いできる日を楽しみにしております。

教育実習を終えて (森本 杏花先生)

2018年10月12日(金)

今年度、教育実習に来られた先生から実習についての感想をいただきましたので、掲載させていただきます。
 

9月15日、母校での3週間の教育実習が終わりました。長いと思っていた3週間は本当にあっという間で、今でもたまに港南造形が恋しくなります。この3週間は授業見学、研究授業、文化祭準備、台風被害の現状復帰など、様々な貴重な体験ができた3週間でした。特に研究授業は本当に大変で、私は「同化」と「対比」という色彩の現象についての授業をさせて頂いたのですが、教材研究はいくらやってもやり過ぎることはないのだと感じました。また、生徒の皆さんと共に行った文化祭準備は、忙しい教育実習の中での癒しの時間にもなっていました。先生方に指導して頂き、生徒の皆さんと触れ合う中で、もっともっと皆さんと一緒にいたいと心から思っている自分がいました。先生方や生徒の皆さんに支えられていたからこそこの教育実習を終えることができたのだと思っています。3週間という短い時間ではありましたが、本当にありがとうございました。


森本杏花

実習を終えて (八田 育子先生)

2018年10月10日(水)

今年度、教育実習に来られた先生から実習についての感想をいただきましたので、掲載させていただきます。

 

今回港南造形高校にて教育実習をさせて頂き、自分にとってとても貴重で有意義な時間を過ごすことが出来たと思っております。

普通高校では美術教師は恐らく各1人しか在籍していないと思います。港南造形高校では沢山の美術の先生が在籍されており、多くの美術の授業を拝見させて頂くなかで、様々な授業の在り方を学ぶことが出来ました。また実習生同士においても、同様のことが言えたとのではないかと思います。

沢山の方の協力を得て実習を終えることが出来、感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございました。

 

八田育子

あぁタイムリープができればなぁ。 文:田頭高利 絵:山崎達也 (美術科3期)

2017年06月15日(木)
 
 
 ふとした瞬間にフラッシュバックする高校時代の青き所業に「ギャッ!」と悲鳴を上げてしまいたくなる衝動に襲われたりすることが多々あるのです。
 世間知らずなのに自尊心が強くて、いつも背伸びしながら過ごしていたあの頃。
 おまけに感情の制御装置も未完成で、全ての感情のバロメーターがレッドゾーンに振り切った状態でのガチンコのコミュニケーションをしていたものだからもう振り返るだけでも背筋が凍る恐ろしのジェネレーション。
 「あぁタイムリープができればなぁ。」
 そんな背徳と慙愧の記憶を懐かしさと好奇心で包み隠し、SNSを糸口にあの頃の年齢分とプラスαの時を経て再び集うようになった僕たち。
 近況を報告しあい、よそよそしさもほぐれ、あちらこちらで巻き起こる思い出話にハラハラドキドキしながらも、様々な感情が混濁する空間は、酔いを差し引いたとしても思いがけず僕たちを当時とはまた違った味わい深い関係へと誘ってくれる。
その要因は数多あるのだろうが、一つには語り合ううちに言葉の端々から浮かび上がる、互いに会うことのなかった空白の期間に潜む様々な辛苦を感じとり共感しあえているからなのかもしれない。
 あの頃よりも僕たちの心のある部分はタフになっていて、ある部分は弱くなっていている。
 そんなそれぞれの情緒の皮膜を重ねあわせ透過してみる事で、可視化できるスペクトルの分布が広がったのかの様に、それまで僕たちを取り巻いていた世界が少し異なった意味や空間を含んで映し出されてたのだろう。いつしかあの「ギャッ!」となっていた思い出も悪く無いものへと変化し、そしてあの頃思い描いていたライフプランとは良くも悪くも違うところに居ながらも、それなりにやってこられているお互いをリアルにリスペクトしあえていた。
 変えられない過去があったからこそ、着実に積み上げていくことで超えてきた時空だからこそ生まれるエモーション。
タイムリープ願望と云う憑き物が落ちるのを感じながら、一人時空の歪みを実感していたそんな僕の向かいで、アイツはその夜もあの当時と変わらずのホクホク顔で唐揚げをほおばっていた。
(美術科3期)
文 田頭高利
絵 山崎達也

この学校に行かなかったら今の私はなかったと思う。塩田千春(美術科5期)

2017年06月15日(木)
 母校での講演はお世話になった先生方の顔が見えていつも以上に緊張しました。私が高校生だった時のこと。学校をサボって怒られたこと。いつも自分の気持ちをうまく伝えられなくて自分が何になりたいのか、何になれるのかさえも分からず先が見えなかった時のこと。ただ絵を描くのが本当に好きで、どんなオシャレをするよりも、画材屋さんに並ぶ絵の具やスケッチブックを買うのが嬉しくて画材代にお金を費やす日々。卒業してから今日に至るまでの作品の話をしながら、本当に作品だけを我武者羅に作り駆け足でやって来たのだと再確認したような気がしました。やはりヴェネチアビエンナーレという世界の舞台で日本代表になれたのは嬉しかったし、制作中も走馬灯のように先生たちのことを思い出しました。ほんの少し寄り添ってもらうことで人生が変わること。私は高校時代を自分が最も好きな絵を描くことで過ごせて本当に良かったと思っています。絵を描くこと、ものを作って人に見てもらい、その心を言葉以外の何かで伝えようとすることは、他の動物にできない人間らしさだと思っています。今こうして自分が作家活動を続けていけているのはこの高校時代に美術の楽しさと苦しさを味わえたからだと思っています。
 この学校に行かなかったら今の私はなかったと思う。私の講演が終わって泣き出す子。それを見守る先生。その光景を見ながら本当にこの高校に行ってよかったと思いました。 
 
経歴
 1972年大阪府生まれ。ベルリン在住。生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ大規模なインスタレーションを中心に、立体、写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作。 2007年、神奈川県民ホールギャラリーの個展「沈黙から」で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2015年、 第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表として選出される。主な個展に、KAAT神奈川芸術劇場(16年)、スミソニアン博物館アーサー・Mサックラーギャラリー(14年)、高知県立美術館(13年)、丸亀市猪熊弦一郎 現代美術館(12年)、国立国際美術館(08年)など。 シドニービエンナーレ(16年)、釜山ビエンナーレ(14年)、瀬戸内国際芸術展(11年)などの国際展にも多数参加。また、サシャ・ヴァルツ&ゲスツ監督・細川俊夫によるオペラ「松風」をはじめ、リチャード・ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「ジークフリード」などの舞台美術も手がける。
http://www.chiharu-shiota.com

 

 

「つながりを大切に」 村木寛人(造形5期)

2015年03月26日(木)
私は現在、兵庫県立高校と大阪府立高校の2校で非常勤講師をしています。
 私は、元々港南造形に入学したら、油彩画を勉強したいなと思っていました。しかし、高校展の出品を募集する領域の中で「木工」という文字に目を惹かれ、先生に後押しされながら、初めての高校展で椅子を制作しました。この椅子が私の原点となり、現在の作品へ繋がってきた存在です。そして、気が付けば、大半を木工室で過ごしていました。当時の担任には「村木君は、デザインとかは出来ないからね」と言われる始末でした・・・。
 大学では下宿をしていたために朝から晩までずっと木を触っているなんていう日も少なくありませんでした。大学では、自分の制作はもちろんですが、キャンバスの枠組みや展示台、友人の制作の手伝いを頼まれることもあり、とても充実していました。瀬戸内国際芸術祭にて学部長の助手をした時は、様々な作家さんや芸術祭に関わったスタッフ方とも知り合え、いい経験となりました。
 私の周りには、夢を追っている人が多くいて、作家を目指している先輩や漫画家を目指している同級生がいます。私も彼らのようになりたいと思っていました。しかし、高校の時に作った椅子を見て、これまでの楽しかった思い出や知識を学んだ時の興奮、自分の考えを形に出来た時の嬉しさを思い出し、これだけ自由に制作できるようになったのは、これまで支えてきてもらった周囲の先生や先輩のおかげなのだと気付きました。また、真っ直ぐ自分のやりたいように出来ていたのは、丁寧に教えてくれた先生や制作している時、休憩の時の何気ない会話で生まれる楽しい雰囲気のおかげだと思いました。もちろん今でも、作り続けたいという気持ちはありますが、それは、誰かと共に作っていきたい というものであり、今までいただいたものを出来る限り返していきたいと考え、高校生に楽しい美術を伝えられるようになろうと決めました。
 制作をしている時は、孤独になってしまう事が多いですが、美術は周囲の環境などに影響される割合が多く、自分と他者の感性と向き合い進めていくものだと私は思います。私は、港南造形で知り合った先輩や後輩と年に一度、一緒にグループ展を行っています。彼らは、愉快な個性あふれる人たちであり、独特な個性があるからこそ、お互いに刺激しあえる良き仲間です。
村木寛人(造形5期)