(アーカイブ)

黒田志保子 (平10大児卒)
 
 2016年に、『(じゃく)(ちゅう) ぞうと出会った少年』(国土社)という作品で、幼い頃から夢見ていた児童文学作家としてデビューを果たすことができました。
 いつか作家になりたいと思いつづけていたわたしに道を拓いてくれたのは、梅花女子大学です。
 当時、児童文学の創作を教えてくれる大学は、日本中でただ一校、梅花女子大学だけでした。それも、現役のプロの作家が指導してくれるという賛沢な環境です。
 作家になりたいと夢見ながら、具体的にどう頑張ればいいのか分からなかったわたしは、梅花女子大学の存在を知り、夢に一歩近づけたような気持ちになりました。
 入学後も、周囲の学生たちの中には、作家やイラストレーターを夢見る同志たちが多く、一人ぼっちで田舎から出てきたわたしには、同じ夢を持つ友人たちも同時に得ることができ、心の底から楽しい毎日を送ることができました。
 彼女たちの中には、同じように作家になった人もいます。先輩や後輩にも多くの作家がいます。今でもその方々とは作家として様々な場面で出会う機会があり、心強い存在です。こんなにも多くの作家を輩出している大学は、全国でも珍しいのではないでしょうか。
 また、在学中には、大学主催の第5回小梅童話賞で優秀賞をいただき、自分の作品にプロの画家の絵が付くという初めての経験もさせていただきました。この経験は、プロの作家になるという夢に具体性を持たせてくれたように思います。
 夢を叶えることができたこれからは、多くの、夢を持つ少女たちにバトンを繋げるような作品を書いていきたいと思っています。



 

児童文学作家になりたくて

2018年06月01日(金)
手嶋ひろ美 (手嶋洋美 平12大児卒)

 大学生活で思い出に残ることといえば、何といっても児童文学科での制作の授業です。作家になりたくて梅花に入った私は、毎回楽しみにしていました。
 制作の授業では、物語を書く技術を学び、作品を書いて先生に批評してもらいます。現役作家でいらした先生は、「作家は自分の中にある熱い思いを作品に書かなくてはならない」と、よくおっしゃいました。けれど当時、作品にしたいというほどの「熱い思い」が乏しかった私は、原稿を書くのに四苦八苦。書きたいことを見つけるのに苦労しました。学年が上がるにつれて先生の批評は厳しくなりましたが、おかげでずいぶん鍛えられたと思います。当時叩き込まれた作家としての心構えや創作の基礎、そして「熱い思いを書く」という指針が今、作家としての私を支えてくれています。また、児童文学科の必修科目で、古今東西の様々な作品に触れたことも視野を広げる助けとなり、4年間どっぷりと児童文学に浸った経験は、大きな財産になりました。
 4年生のとき、脳性まひで手足が不自由な自分の経験を元にゼミで書いた作品が、第16回ニッサン童話と絵本のグランプリ童話部門最優秀賞をとり、受賞作『くつが鳴る』が出版されました。卒業後は、児童文学作家として同人誌で創作するかたわら、梅花高校の人権授業で十数年にわたって講演。毎日新聞での連載をきっかけに、新聞社主催の講演や、市の福祉講演会に招かれたりもしました。創作でも講演でも共通している思いは、「私の話を通して、体が不自由な人の気持ちを多くの人に知ってもらいたい」ということです。最新刊『笑われたくない!』(文研出版)にも、その思いを込めました。
 児童文学科の名前がなくなってしまったのは本当に残念でなりませんが、多くの学科卒業生が同じプロの作家として活躍していることは心強いです。私も学科で学んだことを活かし、書き続けていきたいと思います。