活躍する同窓生

同窓生 宮尾(島田) 壽里子さん(昭50年大日卒)の詩集

2021年07月30日(金)



同窓生の藤澤(加藤)伸子さん(昭50年大日卒)より、同窓生の宮尾(島田)壽里子さん(昭50年大日卒)の詩集「海からきた猫」を紹介していただきました。

宮尾さんはこちらの同コーナーに於いて、以前にも一度ご紹介させていただいておりますが、
2002年 第一詩集「ある痛み」
2010年 第二詩集「げっ歯類の憂鬱」
(H氏賞ノミネート)
今回、第三詩集となる「海からきた猫」を出版されました。

 

同窓生 井上雅子さん(昭32年短卒)のコンサート

2021年07月30日(金)



東海支部長 東さん(昭45年大英卒)が愛知県春日井市在住、井上雅子さん(昭32年短卒)のコンサートに行かれ、大変元気をいただいたと嬉しいお便りを同窓会にいただきました。



 

同窓生 桒名雅子さんの絵画作品をご紹介します

2021年01月25日(月)
画家・桒名くわな雅子さん(昭32短英卒)は、1978年の「この花」100周年記念号の表紙をはじめ、その後幾度も「この花」の表紙絵をご担当されました。(下記当時の懐かしい表紙も掲載)
 
2020年の展覧会では、来場者の方々から「コロナのこの時期に心が癒される」と喜ばれたそうです。
皆様も穏やかな気持ちになりますように・・・そんな願いを込めて桒名さんの作品2点をここにご紹介いたします。
「水鉢に咲く蓮」
奈良市菅原町にある喜光寺の庭に咲いた蓮。
平成に活躍した作家達の一人として、(株)麗人社発行(2020年3月発行)の画集に掲載されました。
「秋色」
近鉄京都線 同志社大学遠景。
「『ダ・ヴィンチとの邂逅』と題して、2020年10月、フランスの文化遺産、クロ・リュセ城(レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした城)で、レオナルド没後500年を記念して行われた展覧会に出品しました。
 
「この花」表紙絵
100周年記念号 1988年 1989年

同窓生原画展のご案内

2019年09月19日(木)


和の絵手紙教室

2019年07月18日(木)
 絵と書の融合の世界を半紙や巻絵にしたためたものです。
普段の何気ないお便りに少しだけ心のこもった絵が入るだけで届いた方の心が和みます。
 季節の花鳥風月と共に自然美、日本の心を相手様に届けたり、日常のお祝い事の金封、扇、うちわなどにも描きます。
勿論、暑中見舞、年賀状なども・・・
 
 昨年の秋、TV番組「おとな旅 あるき旅」に出演致しました!!!
志賀 宣火(志賀則子 昭51高・昭53短家卒)

作家への道を拓いてくれた梅花女子大学

2018年06月01日(金)
黒田志保子 (平10大児卒)
 
 2016年に、『(じゃく)(ちゅう) ぞうと出会った少年』(国土社)という作品で、幼い頃から夢見ていた児童文学作家としてデビューを果たすことができました。
 いつか作家になりたいと思いつづけていたわたしに道を拓いてくれたのは、梅花女子大学です。
 当時、児童文学の創作を教えてくれる大学は、日本中でただ一校、梅花女子大学だけでした。それも、現役のプロの作家が指導してくれるという賛沢な環境です。
 作家になりたいと夢見ながら、具体的にどう頑張ればいいのか分からなかったわたしは、梅花女子大学の存在を知り、夢に一歩近づけたような気持ちになりました。
 入学後も、周囲の学生たちの中には、作家やイラストレーターを夢見る同志たちが多く、一人ぼっちで田舎から出てきたわたしには、同じ夢を持つ友人たちも同時に得ることができ、心の底から楽しい毎日を送ることができました。
 彼女たちの中には、同じように作家になった人もいます。先輩や後輩にも多くの作家がいます。今でもその方々とは作家として様々な場面で出会う機会があり、心強い存在です。こんなにも多くの作家を輩出している大学は、全国でも珍しいのではないでしょうか。
 また、在学中には、大学主催の第5回小梅童話賞で優秀賞をいただき、自分の作品にプロの画家の絵が付くという初めての経験もさせていただきました。この経験は、プロの作家になるという夢に具体性を持たせてくれたように思います。
 夢を叶えることができたこれからは、多くの、夢を持つ少女たちにバトンを繋げるような作品を書いていきたいと思っています。



 

児童文学作家になりたくて

2018年06月01日(金)
手嶋ひろ美 (手嶋洋美 平12大児卒)

 大学生活で思い出に残ることといえば、何といっても児童文学科での制作の授業です。作家になりたくて梅花に入った私は、毎回楽しみにしていました。
 制作の授業では、物語を書く技術を学び、作品を書いて先生に批評してもらいます。現役作家でいらした先生は、「作家は自分の中にある熱い思いを作品に書かなくてはならない」と、よくおっしゃいました。けれど当時、作品にしたいというほどの「熱い思い」が乏しかった私は、原稿を書くのに四苦八苦。書きたいことを見つけるのに苦労しました。学年が上がるにつれて先生の批評は厳しくなりましたが、おかげでずいぶん鍛えられたと思います。当時叩き込まれた作家としての心構えや創作の基礎、そして「熱い思いを書く」という指針が今、作家としての私を支えてくれています。また、児童文学科の必修科目で、古今東西の様々な作品に触れたことも視野を広げる助けとなり、4年間どっぷりと児童文学に浸った経験は、大きな財産になりました。
 4年生のとき、脳性まひで手足が不自由な自分の経験を元にゼミで書いた作品が、第16回ニッサン童話と絵本のグランプリ童話部門最優秀賞をとり、受賞作『くつが鳴る』が出版されました。卒業後は、児童文学作家として同人誌で創作するかたわら、梅花高校の人権授業で十数年にわたって講演。毎日新聞での連載をきっかけに、新聞社主催の講演や、市の福祉講演会に招かれたりもしました。創作でも講演でも共通している思いは、「私の話を通して、体が不自由な人の気持ちを多くの人に知ってもらいたい」ということです。最新刊『笑われたくない!』(文研出版)にも、その思いを込めました。
 児童文学科の名前がなくなってしまったのは本当に残念でなりませんが、多くの学科卒業生が同じプロの作家として活躍していることは心強いです。私も学科で学んだことを活かし、書き続けていきたいと思います。

~夢の途中~

2018年05月31日(木)
井上林子 (平12大児卒)
 大学時代、私は児童文学科の畠山兆子先生の「近代日本児童文学」ゼミで、宮沢賢治や豊島与志雄、現代の児童文学作家の研究をしていました。他に「絵本制作」や、「外国児童文学」の研究、一般教養でも「歴史」や「映画論」など、興味ある授業はなんでも受け、好きなだけ児童書を読むという、なんとも賛沢で豊かな日々を送っていました。私は児童書が大好きなので、児童文学科の勉強は本当に心から楽しく嬉しいものでした。
 また、在学中は絵本研究会「こうめ文庫」に所属し、梅花幼稚園の子どもたちと一緒に絵本をよみあってきました。そこでは、座学だけでは得られない、絵本に対する子どもたちの本物の反応を知ることができ、私自身の絵本観を育ててもらいました。今も「子どもが心から好きになる絵本、求める物語とはどういうものなのか?」を探りながら、子どもたちから様々なことを学ばせてもらっています。
 現在私は、児童文学作家をやりながら、梅花幼稚園未就園児教室・絵本クラスの先生と、絵本クラブ「こうめ文庫」のスタッフを引き続き楽しくやらせてもらっています。
 大好きな児童文学を仕事にでき、さらに、かわいい子どもたちのためになる仕事もできる今の状況を、とても幸せに感じております。
 私だけでなく、児童文学科の先輩方や、同期の友だち、後輩たちも、みなさん自身の夢を叶え活躍されています。作家、画家、翻訳家、編集者、研究者、教育者、書店員、図書館司書、保育士、小学校教諭、子ども関係の仕事、絵本にくわしい素敵なお母さん・・・・・・。それ以外の仕事でも、大学で学んだことを糧に、みなさん、未来を生きる子どもたちへとつながる仕事を日々頑張っています。これは、とても尊くすばらしいことだと思います。
 梅花の卒業生は、夢を叶え続けています。
 みんなも、私も。
 これからも、ずっと――。

祝 関西学生アーチェリー連盟リーグ戦1部昇格

2017年06月30日(金)
  一昨年の平成26年11月に、創部50周年の記念祝賀会を催し、喜びと感謝にひたっておりました。その後の私達卒業生の期待も大きく、リーグ戦での応援にも力が入り、部員も増えて行く中で、1部昇格も夢では無いのではと、ひそかに期待しておりましたところ、遂に平成28年4月~5月に行われた、関西学生アーチェリーリーグ戦において、長年の夢であった、1部昇格を果たしてくれました。現役達の努力の賜物と言う事はもちろんです!ありがとう!みんな!でも、ここまで地道に諦めずに着々と現役を連れて階段を上ってくださったのが、池田晴彦監督です。本当に感謝の念に堪えません。来期からは1部校として戦うこととなり、今まで以上に厳しい戦いとなります。部員一同自覚を持ちこの結果に満足することなくさらに上を目指して精進していって欲しいと思います。
 私達卒業生も、精一杯の応援と協力をしてまいります。 また、大学側には、学生会館に見事な1部昇格祝いの横断幕を掲げて頂き、更に、学生達には学長賞を頂戴出来るとの事、重ね重ね誠にありがとうございます。
 今後ともご指導ご鞭撻の程どうぞ宜しくお願い申し上げます。
梅花女子大学体育会洋弓部OG会
会長 河内睦子(高山) 昭和54年大英卒

 

私のバレエ人生

2017年06月30日(金)
大久保 沙耶(平19高卒)
 現在、オランダ国立バレエ団でバレエダンサーとして働いています。
 6歳の時に曾祖母の勧めで始めたクラシックバレエ。趣味でなんとなくやっていたものが上達するにつれて夢中になり、今それを自分の職業としていることをとても嬉しく思っています。私のバレエスタジオでは高校受験のためにやめてしまう友達がたくさんいたので、エスカレーター式で高校まで上がれる梅花中学校へ行こうと決めることは難しくありませんでした。
 中学校に入ってからはコンクールにも挑戦するようになり、バレエで忙しくなったことで当時所属していたハンドベル部をやめざるをえなくなったことを覚えています。いつも心の中ではいつかバレリーナになれたらいいなと思っていましたが「まさか私なんかが・・・」とプロになるための行動を起こす前に半分諦めていました。実際、高校1年の時に現代社会の授業で書いた「将来の夢」という作文にも、バレリーナにはなれないと思うのできっと将来は会社で働いているだろうと書いた覚えがあります。そんな時にふと飛び込んできた海外留学の話。高校2年の冬に受けたコンクールで全国2位、審査委員特別賞、モナコのプロフェッショナルバレエスクールへのスカラーシップ賞を受賞しました。高校3年から休学し、モナコへ行きましたが初めての海外、なれない寮生活や言語などからいろいろなストレスを抱えてしまい、先生の期待に応えたいという思いから背中を痛めていることも言えず、どんどん悪化し帰国せざるをえなくなりました。療養中に梅花へ戻り、高校を卒業し梅花大学にも数か月行くことができ両親を安心させる事が出来たのはよかったなぁと今でも思います。
 背中も完治しモナコへ戻り3年の留学を終え、ヨーロッパのバレエ団のオーディションを受けオランダへ入団が決まったときは、天にも昇る気持ちでした。
 将来、自分が海外に住むとは全く予想していなかったことですが、こちらで働き始めてもう7年になります。住む環境を変えることは簡単なことではありませんでしたが、アムステルダムは街並みもきれいですし人にも恵まれて楽しく過ごしています。オランダ国立バレエは世界でも有名なバレエ団なので公演数も多く、年100回程度あり、作品のレパートリーも豊富なので学ぶことがたくさんあります。体が疲れて今日は踊りたくないという日もありますが、これでお金を頂いているという恵まれた環境を有難く受け止め、日々がんばっています。大変なことがあっても舞台でお客様の拍手を頂いているときは、ここまで続けてきてよかったといつも思います。
 踊ることは体を酷使するのでバレエダンサーとしてのキャリアは40歳位までで長くありません。その事を肝に銘じて一日一日を大切にし、日本の応援してくれている方々に感謝しつつ、人に感動を与えられるような踊りを目指し残りのバレエ人生を楽しみたいと思います。