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2010/02/19

平成19年度インタビュー 池内 嘉正(新10)・ミドリ(新17)ご夫妻

「地球の島巡り」
還暦記念の日本の離島巡りが出発点!
  経営コンサルタント・各種旅行作家協会員
――はじめに、東商時代の思い出を
(♣:嘉正氏、♡:ミドリさん)
♣ 昭和30年入学ですが、勉強の記憶は殆どありません。何しろ、中学の頃から卓球が好きで、東商でもクラブ活動に一生懸命でした。
♡ 私は昭和37年入学でしたが、勉強もしましたよ。国語の江崎先生には大変お世話になりました。クラブ活動は和文タイプ部でした。

――卒業後は?
♣ 日本ケース(現、サンパック㈱(東証一部上場)の前身)に入社しました。
♡ 私も7年後に同じ会社に就職しましたが、歳も離れていたので、彼が東商の先輩だという意識はありませんでした。

――芋谷工業に転籍されたのは?
♣ 昭和43年ですが、芋谷工業は日本ケースと取引のあった会社です。芋谷工業の経理部長が日本ケースに転籍する代わりに、お前が行ってくれと。転籍の頃は税理士を目指して玉造経理専門学校に通っていました。

――その後、独立されたのですね
♣ 税理士の勉強に専念しようと辞表を出したのですが、社長から“市場調査で世界を廻ってこい”と旅費と200万円を支給されました。
仕方なく2ヶ月間で世界を廻りました。35才で独立し、企業の販促を請け負う池内産業を立ち上げました。
♡ 独立には反対しませんでした。上手くいかなければ、私も働けばよいと思っていました。
結婚してから30年は母子家庭でしたね。

――仕事をやめられた後は
♣ 還暦を迎えた記念にと“日本の離島巡り”を企画しました。スポーツ報知の記者に勧め  られ、同紙の島紀行コラムの連載を引き受け
ましたが、文章を書くのに悪戦苦闘、カメラの勉強も大変でした。石垣島を最初に1年4ヶ月掛けて60島を周りましたが、55島は妻と一緒でした。
♡ 還暦は式根島で迎えましたね。

――地球の島巡りまで広がりましたが
♣ 離島巡りを終え、「日本の島再発見」と題する本を出版しましたが、その披露パーティで、友人達から、『これからはどうするの?』『次は世界やね!』と煽られ、乗せられました。古希までに地球の島70島を巡る目標を立て、1島目は北極、70島目は南極と決めて、パソコンの勉強、シュノーケルや水中カメラ操作の特訓の後、スタートし、年間4、5ケ月を旅行に当て、昨年末までの4年間で41島を走破しました。各島の自然・動植物・現地の人々の生活振りをホームページに掲載していますが、何れ2冊目として出版予定です。

――旅の心得で大事なことは?
♣ 食あたりにあったこともありますが、種類豊富な果物は美味しいし、現地での食物は何でも食べてみます。水には注意していますが
お米、漬物、味噌汁は常に持っていきます。
♡ パラオのコウモリ料理も食べたね。夫婦で旅することで、色々な人々との触れ合いの機会が増すし、出会いを大切に楽しむことです。
♣ ホテルや航空券等はインターネットで見積り比較をすれば、相当な費用が節約できます。

――日本旅行作家協会員には何時から
♣ 日本の離島めぐりの記事や出版が認められ、2002年に協会の理事推薦を得て加入し、その後、日本旅のペンクラブ会員にも加わりました。二科展の写真部門に入選の栄も受けました。

――最後に後輩の皆さんに伝えたいことを
♣ 人生を楽しむためには、どうしてもある程度の資金が要ります。働くときは人の2倍、3倍働くことです。また、勉強は社会に出てからが本当の勉強です。色々な人と触れ合う機会を大切にして欲しいですね。
♡ 私はのんびり屋ですが、何事に挑戦するにも過程を楽しみながら行うようにしています。
その方がよい結果につながるように思います。

――42島目の旅を1週間後に控えて、貴重な時間を割いて頂き、ありがとうございました。
寄贈頂いた『日本の島巡り』は同窓会ライブラリーに収納させていただきます。


池内ご夫妻の旅の記録をHPで是非ご覧下さい。
素晴らしい写真、紀行文が満載です。
http://www.tetujin60.com/
インタビュアー 高野浩吉(新10)国枝敏夫(新13)
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