トップページ > 恩師だより > 2018年恩師だより

2018/05/08

2018年恩師だより


本年は恩師に質問にお答頂く形式でお便りをお寄せいただきました。
 質問の内容は…
 先生になっていなかったらどんな職業についていましたか?
 ❷思い出に残る一曲は?
 ❸もしも、宝くじ10億円があたったら?
 ❹近況をお知らせください。
たくさんのお便りありがとうございました。恩師の皆様のご健勝と益々のご活躍をお祈り申し上げます。

 
★安原 敏夫先生 昭和42年~51年
金融機関(銀行員・証券会社員)ノルマを達成することは大変厳しい面があるが、やりがいもあじわえる継続は力という事が実感できます。(銀行5年勤務、証券4年勤務)
東商の校歌「士魂商才身につけて立て東商」
東商同窓会等に寄付します。約束は守りますので、ぜひとも、宝くじが当たりますように!
週4日、小学校のいきいき活動室で指導員として、児童たちから元気をもらっています。遊びや学びの支援は、居心地のよい「居場所」を昭和42年4創ることだと思う今日この頃です。
★政田 寛徳先生 昭和47年~52年
親・兄弟が医師ですので、一層の努力をして医師への道を選んだと思います。残念乍ら初志貫徹とはいきませんでした。しかし教師道を全う致しましたので悔いはありません。
望郷の念にかられる「異国の丘」
「公共の福祉」のために活用して戴くため社会福祉施設に全額寄付する考えです。
年齢80才を超え、気力、体力共にその衰えを感じ乍らも日々楽しく暮らしています。散歩・ランニング。野球観戦等に生きがいを感じつつプラス志
向で生活しています。
★向山 光正先生  昭和49年~61年
英会話の力を活かして、貿易商社に勤めて海外出張などをする、ビジネスマンになっていたでしょう。
ブルックナーの「交響曲第八番」
夢がないけれど、一流の銀行株10億円買って、配当で暮らしたいです。
英語俳句を作っています。
  a greeting card to my pet cat Mew from his vet
 
★竹内 俊和先生  昭和52年~58年
書道しか出来ないので、書に関わる仕事をしているかもしれません。表具師、印章等の仕事も考えられますね。
「時代遅れ」「木蘭の涙」
沈思黙考の末、ギャラリーをオープンさせる。
今年の春に教職を退職し、数年先の第二回個展開催に向け、作品制作の日々です。静謚で書道三昧を楽しんでいます。
★高西 正先生  昭和56年~平成12年
運輸関係できれば電車の運転士か旅行業界の添乗員など。
「イヨマンテの夜」
殆どはユニセフへの寄付とがん予防と治療の研究への寄付、残りは世界旅行!
舟漕ぎは通勤が苦痛になり週2~3日、あとは孫のリトルリーグの練習の手伝いや試合の応援、あとはANAのマイル稼ぎの旅行など
 
★足立 正人先生  昭和56年~平成6年
庭師
「神田川」昭和の物情騒然とした頃の歌。36期生の卒業式後、教室で斉唱していただき感謝しております。
はて、どうしたものか。古稀超えて、金利や株価に一喜一憂して残日を生きるわけにはいかず…
外出は稀。唯一、房総田園地帯のサイクリングと川釣りが楽しみです。神の不在・思想の不毛を受け容れると、眼前に広がる地平は一見荒涼と見えても、意外に自然で静穏です。
 
★浅利 守光先生  昭和58年~63年
木材商。材木屋の長男に生まれ、大学の商学部を卒業しましたが。。。
「モーニン」アート・ブレイキーとザ・ジャス・メッセンジャーズ。
地球を巡り、宇宙に翔ぶ
歴史探索の「まほろば歴史同好会」の活動。「大菊作り」は天候に災いされ、「家庭菜園」の猪の被害は、鉄柵で免れました。
 
★岩井 秀男先生 昭和59年~平成8年
教師になる前は、ヤマギワ電器(株)に5年間勤めていたので、教師にならなければ、そのままヤマギワ電器の社員として経理を担当していたと思います。
「群青」
子供と孫に分ける。自分と奥さまに1億づつ残して 特に何もしない、旅行は増える。
現在ユービック情報専門学校で教頭として勤めています。入学者募集中です。二人の子供は結婚し、5人の孫に(一番下が3才)育ジイで頑張っています。
★山本 俊明先生  昭和60年~平成2年・平成8年~平成11年
航空機の整備士。
「柔道一代」
使い道に困るのでクジを買いません。
リラックスして暮していくことに心掛ています。しかし何分内気で外股なので上手く行きません。

 
★山合 健一先生  平成2年~14年
国家公務員になっていたと思います。教員採用試験と国家中級に合格していたので、教員になりました。
ブラザーズフォーの「グリーンリーブス」
じっとながめています。
早期退職後、法律の勉強をしています。宅建、行政書士の試験に合格しました。さらに勉強に励んでいます。
 
★谷村 芳三郎先生 平成9年~20年
私は三男ですので、家の仕事をすることは無理でした。その方が自由に生きる道を選べると、結局は学校の教員の職に就くことにしました。先生になって良かったと思ってます。
校歌も遠くなり、今では「山男の歌」です。
「もしも、当たったら」皆さんに全部、分け与えたいですが、今迄、当たったことなしです。
お蔭さまで72才になっていますが、今でも山登りに行ったりしています。今迄に、金剛山へは660回登っています。しかし、足腰が少しずつ弱って来てますが、心配はありません。
 
★船城 英教先生  平成11年〜平成22年
全く想像がつきません
東商業「校歌」「応援歌」。生徒達が作った「80周年記念歌」
東商同窓会館を再建する
縁があり大阪ビジネスフロンティア高校と鶴見商業高校に剣道部外部指導員として行かせてもらってます。

 
★市田 淳先生  平成13年~平成14年
昭和39年3月高校を卒業しました。当時、父親より常々「手に職をつけなければ生きていけない」と言われてました。工学部を受験しましたが失敗。1浪して工業職員養成所に入学し大阪市教員に採用されました。順調にいけばカッコウいい設計エンジニアの道をすすんでいたでしょう。
「きょうも暮れゆく異国の丘に・・」浪人時代予備校の先輩より励まされました。
「半分は老後施設入居費にあと半分は東商同窓会に寄付します」お楽しみに・・・
「友渕小学校いきいき」に週4日勤めています。1・2年生の子ども達とものづくり(1月は凧・プラバン)やケンハモ合奏で楽しく遊んでいます。また篠笛やハーモニカを月2回お稽古に通っています。毎日薬を服用しながらもお酒が美味しくいただけありがたいです。
★玉岡 照宏先生 平成19年~平成21年
証券アナリストです。実際に大学卒業後、某証券会社に就職しました。その約3年後に退職し、教職の道を目指しました。
「ヘイ・ポーラ」
地域の老人が憩える集会所や子どもたちが安心して遊べる公園をつくりたい。
退職して早や6年!この間、入院・手術もありました。これを機に、健康第一にして何事も中庸を心がけています。
 
訃 報

       猪上 直英先生
       幸田 周三先生
      武内 節子先生
      中田 泰一郎先生
      松本 静香先生
      宮本 利夫先生
      村井 久泰先生
      八尾 宏先生
                    
                                                         ご冥福を心からお祈りいたします。
post by HP管理

コメントをどうぞ

コメントを投稿するにはログインしてください。