先日、ちょっとした引っ越しがあり、蔵書や在職中の記録物を整理する機会がありました。
詩や古典文法、漢詩のプリントなど、懐かしい作品や文字がたくさんありました。
「ハウスはできてもホームはなかなかできない」と聞いたことがあります。東商の建物は
無くなっても、素適な記憶はいつまでも残り続けるとおもわれる、楽しい一時でした。お元気で
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年をとると近年の荒々しい気象には特に敏感になり、体調の維持管理に苦労しています。everyday,Sundayの生活を楽しんでいます。「東商同窓会」名がいつまでも消えませんように。
一昨年秋、転落事故で骨折し、入院生活を続けておりましたが、リハビリ治療が成功し、昨秋からは「山の会」にも復帰しました。
生野工を最終校で退職し10年が経ちました。現在は生野区の小学校いきいき教室に勤めています。低学年が大半で宿題の補助やダンボール等でものづくりをしたり、運動場でボール遊びをして触れ合いの時間を過ごしています。今年は「妖径ウオッチ」や「アナと雪の女王」に人気があり、夏休み中はTUTAYAでDVDを借りました。「アナ雪」や「ジブリ作品」は何度も見ていました。将来を生きる子ども達に夢を与えたいと日々願っています。
相変わらず、何の変化もなく、元気に過ごしています。ただ、この同窓会が今迄と変わらず、末長く盛大に行われるよう 心から念じています。
毎日が同じ繰り返しなので『恩師だより』も去年と同じ、書くことがない。現職だった期間と「恩師」になってからの期間とでは一日の長さが違う。家に居ればすることもなく、夏暑く冬寒く、とても我慢がならぬ。無料で冷暖房完備の公立図書館へ出掛け、よい気持ちで、うとうとしかけると警備員に起こされる。仕方なく、帰って焼酎などを飲んでいる。
平成25年3月手術中、肺胞出血を起こし2千CCの輸血、49日間の入院をしました。その心境を俳句にしておきます。
本年春の卒業生をもって、新会員は無くなるとのこと、統廃合が現実となる残念さと淋しさを感じざるを得ません。同窓会はこれまで以上に大切な存在になることでしょう。
私は昭和40年、大学2部卒業と同時に日興証券を退職し、商業科教員となりました。そして昭和42年から9年間、東商にお世話になりました。昭和51年、社会科教員として、府立高校に移りました。同窓生は、それぞれ活躍する場は違えど、良い刺激を与え合える仲間です。多くの東商ファミリーとの出会いから、視野が広がり、心も広がってゆきます。