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東京支部だより

水谷 良一(旧23
 東商の想い出と言われても六十年も昔のこと、思い起すのも大変!我が家は質屋だったので父親は商業学校へ行かせたかったのでしょう。当時は大阪では商業学校といえば、天王寺商業、東商業、市岡商業。小学校は遠距離通学で清堀小学校。
同期で5、6人が東商に入学したように思います。

 雨天体操場があって、二階が講堂、その先に広いグランドがあり、左側に柔剣道の道場。
講堂がある2階の音楽部の部屋で演奏会の練習に明け暮れ、朝日会館でコンサートをしたのを思い出します。当時は東商の音楽部は日本で一、二を争う優秀校だったのです。
 その頃までは平和で良かったが、日支事変から真珠湾、大東亜戦争へと軍国主義に日本が突っ走って行った時代。学校でも軍事教練で配属将校が居て、散々に絞られたのも懐かしく思い起こします。
 上本町二丁目あたりだった、あの校舎は戦災で焼失したのでしょうか。終りの一年は森の宮の大阪陸軍造兵廠へ学徒動員の徴用。その間、同期生たちは陸軍幼年学校、海軍兵学校、七つボタンの予科練へと軍隊に。私も卒業と同時に朝鮮の“ケンジホ”という処の日鉄の工場へ行くことになったのだけれど、鉄道も何も無くなり行けず、そのうち八月に終戦!!
それからもう六十年過ぎたのですね。
 今のこの平和な時代がやはり幸せなのでしょうか?あの時代の緊張感も何故か懐かしく思い起こします。

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