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2022/05/25

2022年恩師だより

師の方々から、近況をお寄せいただきました。恩師の方々のご健勝と益々のご活躍をお祈り申し上げます。

安原 敏夫先生 昭和42年~昭和51年
 4年勤務した日興証券をやめて、商業科教員として大阪市立の商業高校に勤務しました。異動で東商にお世話になり、生徒の皆さんから元気を貰い9年間楽しい時間を共有しました。 社会科教員として府立高校に異動したときには、1学年12学級にびっくりしました。 定年退職後、三菱信託銀行、関西大学入試広報課勤務を経て、大阪市立の小学校「いきいき」に勤務しましたが、出退勤途上での新型コロナウィルスの感染を恐れ、令和2年5月末に小学校「いきいき」をやめて、フリーとなりました。
 東商での出会いは、誠に貴重でした。東商での思い出と謙虚な気持ちを持ち続け、自分の良さを磨きたいものです。
 同窓会での再会を楽しみにしています。


浅利 守光先生 昭和58年~昭和63年
   今年、米寿を迎えます。モウ?なのか、マダ?なのか、その感覚はほとんどありません。
 昨今のコロナ禍、「何とかならないのか」が口癖のステイホーム。「言」も「動」も封じられ、痴呆症か認知症がより進んでいるように思えます。マスクは眼鏡・鼻詰まり症にとって、大の苦痛。これまた、何とかならないのかの日々を、過ごしている昨今です。菜園へはマスク無し、ハレバレとします。
 振り返りますと就任時、前年新築の校舎、高等学校では希有の高層8階、商業科として、最新の機器・授業内容も革新でした。屋上から見下ろすと、眼球がクルクル。懐かしい東商が、今も此処に在るようです。


髙橋 保博先生 昭和63年~平成3年
 大阪市立東商業高等学校(現大阪ビジネスフロンティア高等学校)が、昨年創立100周年を迎えられたとのこと、真におめでとうございます。心よりお喜び申しあげます。100周年と言えば、人生でいえば百寿を迎えたということで、全くおめでたいことです。100年前と言えば、大正9年(1920年)にあたり、大阪市立東区甲種商業学校として設立開校されたのでした。
 それ以来100年もの長きにわたり、学校を継承するには、学校関係者及び卒業生の皆様の並々ならぬ努力と母校を愛する気持ちが不可欠であったと思います。関係者の皆様及び卒業生の皆様に心からの敬意を表します。
 時代の流れの中で、校名を変更し、規模を変えながらも、その伝統と礎を後世へと引き継いでいくには、並々ならぬ母校愛と継承への努力が大切です。
 今後の御校のますますのご発展を心より祈っております。 


市田 淳先生 平成13年~平成14年
 〜子どもたちに夢と希望を〜
 現在、私は都島区内の小学校「いきいき活動室」に週3日勤めています。年齢も喜寿に達し、これを機に3月で停年を考えています。本事業は「大阪市教育委員会」が20年前、市内約360校の小学校で放課後の空き教室を使用しスタートしました。主に地域役員を指導員に採用し、保育は公費で負担するという画期的な事業でありました。その後、子育て支援の高まりから子ども青年局の所管となりました。私は63歳で東住吉区内の小学校が初任校になり、その後5校異動しました。いずれの地域においても「いきいき」と地元の結びつきが強く、お花見会や地域行事等で交流がありました。しかし活動室では子ども間のいじめが問題になり夜遅くまで話し合いをしたことや指導員の不適切発言により保護者に謝罪したこと等。また活動中に骨折し病院に駆けつけたこと等ありました。近年、共働き家庭や塾通いにより子どもを取り巻く環境は大きく変わってきました。放課後教室は地域スタッフや大学生指導員との交流を通して学校とは違った心の豊かさが形成される場として期待されています。
 長いコロナ禍のトンネル、その先に明るい日差しを浴びた子どもたちが待っています。私は今後も音楽活動による支援を続けたいと思っています。


船城 英教先生 平成11年~平成22年
 東商生が創った八十周年記念歌について述べます。平成12年度の団長達が作詞をしました。作曲は音楽講師の先生でした。
周年式典や卒業式に全員で歌いました。
 時代から時代へという記念歌でした。東商生が自分達で創りあげた素晴らしい記念歌でした。歌詞通り心の中に永遠に残ってくでしょう。





玉岡 照宏先生 平成19年~平成21年
  2年間延期となっていた東商創立100周年記念祝賀会が開催される運びとなり、誠にうれしく思います。盛大に開催されることを心待ちにしております。
 いま本市の高等学校は、令和4年4月より大阪府に全て移管されます。同時に南・西・扇町総合の3校が統合され、府立桜和高校として開校します。これらを前進・発展と捉えるのか。いや、私にとっては、大阪の高校がどんどん遠くなりゆく気がして寂しい限りです。まさか、このような時が訪れようとは想像だにしませんでした。
 こうした中、東商同窓会が母校の閉校後も精力的に活動を続けておられることに、心より敬意を表します。また卒業生の皆さんが母校の伝統訓である「士魂商才」を胸に、各方面で活躍されていることと思います。今後とも、「東商は永遠なれ!」を合言葉に、私も可能な限り皆さんと共に、同窓会の集いに参加させていただきたいと思っています。

 
恩師短信(順不同)
石井 雅宏先生
  後期高齢者になったのを機に仕事を引退しました。半世紀以上仕事をさせていただいたことに感謝です。

榎並 章先生
  今年の5月で94歳になります。要介護認定5を受け、ホームにて生活をしております。顔色もよく元気にしております。


小島 成起先生
  令和4年3月末をもって現在の大阪市立神路小学校の再任用校長を辞する予定です。東商の創立100周年を皆様と祝うことができるのを楽しみにしております。

笹月 繁先生
  毎水曜日は大阪城・修道館、日曜日は地元大山崎剣道教室で剣道の指導、稽古に励んでおります。82歳、もう少し頑張りたいと思う今日この頃です。

白川(榊原)俊義 先生
  喜連寶圓寺の住職に入って16年。地域の皆さんと続けてきた喜連村史の会の成果が、1月26日~3月21日まで、大阪歴史博物館の特別展となり発信いただきました。東商80年史を50歳で書いたのが初めての全くアマチュアの研究成果です。

杦本 多佳史先生
  令和3度年より大阪市立高等学校長として勤務しております。商業教育を離れてしまい、また4月から府立となるので少しさみしいです。

中井 晴子先生
  週2回ジムでストレッチやウェイトトレーニングをし、他の日は、バードウォッチングしながら風土記の丘を3~4㎞ブラブラしています。

前田 俊一先生
  今年後期高齢者の仲間入りをしますが、何とか元気に過ごしています。今は地域のボランティアに取り組んでいます。

松江 靖朝先生
  眼科・内科・整形外科等殆ど一日中通院という状況です。行けば一日仕事となり大変です。としはとりたくないものですね。

三宅 秀司 先生
  東商が中央区の久太郎町より現在の天王寺区に移転してから10年が経とうとしています。その後同窓会には、なかなか参加できませんでした。現在は主に高校生の陸上の試合の審判と野菜作りをしています。教員は60歳で辞めました。

山内 充左右 先生
  こんにちは、ご無沙汰してます。最近は脚腰の痛みと記憶力の衰え、年のせいもある?充分なる休養と適当な運動。週3回、3時間のグランド・ゴルフ、時折の散歩・買物で外出する事も時折!

山上 仁士先生
  87歳になりました。元気です。

 
訃 報

            中川勝義先生
       岡本健一先生
       藤原正明先生

                    
                                                         ご冥福を心からお祈りいたします。
 
post by HP管理

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