トップページ > 恩師・先輩インタビュー > 懐かしの恩師へのインタビュー 三枝 忠平 先生

2010/02/16

懐かしの恩師へのインタビュー 三枝 忠平 先生

平成13年4月7日 於:東商会館
三 枝 忠 平 先生

大阪本町の生まれ
船場小学校~偕行社~慶応大学経済学部卒業(昭和25年卒)昭和26年から37年間東商で勤め昭和63年定年退職
―――先生宜しくお願いします。ところで先生は学校卒業してすぐ先生になられたんですか?
大学卒業後1年間会社に勤めた。しやけど、小説書きとうて先生やったら時間に余裕があると思おて学校へ勤めた。勤めながら市大文学部へ聴講生となってよう聞きにいった。しやけど小説家はぜんぜんあかんかった。才能がないから諦めた。会社1年いってその後東商に入って37年間ずーと東商。社会と英語を教えてたけど臨時免許で商業・経済・商業一般取ってそれも教えた。

―――どうして東商に入いられたのですか?
東商へ入ったのは上野芝に住んでて近くに高丸校長がいはった。 実家は風呂敷の卸商をしていて、親同士が知り合いやったから頼みにいって東商に入った。

―――東商の思いでは?
入ってすぐに軟式テニスの顧問になってコートを作たんやけど、石ころだらけで一生懸命石拾いをしてコートを作った。もっといいコートを作ってほしかったが移転の予定があるからと言うて作ってもらえへんかった。その後山田宗先生に顧問を譲り男子ソフトボール部の顧問になった。その当時はソフトやってる学校が8校くらいしか無かったんで大阪ではいつも1位か2位で当時は強かった。四国丸亀商業からも招待してもろうて、監督してて本当に面白かった。

―――印象に残ってる先生は?
村上先生かな。先生とは20才くらい年が離れてたけど、相性があったのかよく一緒に旅行した。そや、浜口さんのクラスの担任をしてて担任を辞任した先生や。その後都倉先生が担任をしたんやったな。それから、古田先生は正月に黒豆の入った餅を持ってきてよう職員室でストーブで焼いて食べてた。それから、山田実先生は野球部の監督しててほんまに元気良かった。

―――退職してからどうされてますか?
きらくに毎日百姓してる。家の裏にある30坪くらいの畑で、野菜作ってて、近所にもあげたりしてる。今やったらえんどうやそらまめやら作ってる。野菜は手かけたらかけた分だけ素直に育ってくれるからな。それから、囲碁! 隔日に40分歩いて碁会所に通うてる。囲碁は東商に入ってから習うてんけど30年ほど前に、初段の免除をとったけどそれ以上うまなれへんけどな。中学の時の友達とはよう釣りにいったな。船借りて行っててんけど友達が死んでからは行けへんようになったけど、鯛釣りしたりして面白かった。

―――先生おいくつですか。お若いですね。
今73歳! くよくよせんこっちゃ。それからなんでも食べること。とくに野菜はよう食べること。野菜は自分で作ってるしな。

―――先生してて良かったことは?

卒業生に同窓会よんでもらうこと。これがやっぱり嬉しい。学校では気楽に過ごせたし、よかった。いやなことはみんな忘れてしもうた。


有り難うございました。いつまでもお元気で!またお会い出来るのを楽しみにしています。
インタビュアー  浜口 卯一(新9)、喜多 美智代(新17)、浦西 菊代(新22)
post by ホームページ管理

コメント 1 件

この投稿のコメントを閲覧するにはログインして下さい。

コメントをどうぞ

コメントを投稿するにはログインしてください。