活動内容
|東京武夫原会|2025年10月23日更新
2025年10月18(土)日、東京御茶ノ水のホテル東京ガーデンパレスにおいて第41回東京武夫原会総会・懇親会が盛会のうちに開催されました。 ご出席頂きましたご来賓の皆様、同窓生の皆様、誠にありがとうございました。 今回出席頂いた51名は、80才代から20才代後半の方まで幅広い年齢層にわたり、世代を超えた交流と笑顔があふれる温かい時間となりました。ご来賓の方々は熊本大学を始め、熊本大学武夫原会、熊本県・熊本市の東京事務所、熊本県人会、永青文庫、熊本学園大学同窓会東京支部の皆様です。ご来賓の水元熊大副学長からは、熊本大学の現状と今後、特に新学部の情報融合学環と来年4月新設される共創学環については、多様な人材を育成、輩出したいとの熱い想いを語って頂きました。 深町武夫原会会長からは、武夫原会の活性化と会員増について従来以上に取り組んでいきたいとのお話がありました。
続いて有木永青文庫副館長の講演は、永青文庫設立の経緯と細川家伝来品や同文庫設立後の多くの貴重な美術資料の説明、その中で同文庫所蔵の重要文化財・菱田春草作「黒き猫」(明治43年)の紹介があり、その繊細な筆致と静謐な佇まいに、多くの出席者が魅了されました。 同作品は完成後100年以上経過していることから、2021年より本格的な修理を行い、その過程・様子等を大変興味深く映像を交えてご説明頂きました。
懇親会では世代を超えた親睦が深められました。久方ぶりの再会に笑顔があふれ、学生時代の思い出話にも花が咲く、和やかなひとときとなりました。 会の途中では大学の3学部長から各学部の紹介を交えたユーモア溢れるご挨拶、ご来賓の皆様方からのご挨拶、又初参加者のスピーチ等が会を盛り上げて頂きました。
最後は東京武夫原会の藤川さんが、自前で揃えた応援団のいでたちで中央に立ち、五高寮歌を全員で歌い、3時間半の楽しい集いを終了しました。 ご出席の皆様、本当にありがとうございました。
2026年は10月17日(土)の11時から、今回と同じホテル東京ガーデンパレスで開催の予定です。
又、次回の東京歴史探訪は12月14(日)14時から開催する予定です。 探訪する場所は現在検討中ですので、決定次第本ホームページに掲載します。
\ 皆様のご参加お待ちしております。 /
|東京武夫原会|2025年5月22日更新
去る5月18日、第3回目となる東京歴史探訪を行いました。今回の場所は文京区から豊島区にまたがる地区を、凡そ2時間かけて巡りました。
まずは護国寺の仁王門前に集合し、境内を散策。護国寺は五代将軍綱吉公が母である桂昌院の発願により創建した名刹で、大正時代の関東大震災や昭和の東京大空襲を経ても、数多くの江戸元禄年間の建物が現存しています。
本堂を囲むように、大隈重信や三条実美など幕末から明治期の元勲や政治家の大きな暮が点在しています。
次に明治時代にアメリカから日本に来日し、当時は新興住宅地と畑が散在する雑司が谷地区に、教会と幼稚園を建ててキリスト教の布教活動を行った宣教師マッケーレブが明治40年に建てた自宅が、今は豊島区の施設として一般に公開されています。静かな住宅街と緑に囲まれた洋館は、周りの景色に溶け込むように建っており、心休まるひと時でした。
宣教師館を出て間もなく行くと雑司が谷霊園です。ここには五高で教鞭をとった夏目漱石や小泉八雲の墓があり、奇しくも同じ場所に葬られていることに不思議な縁を感じました。この霊園は明治以降に整備されたことから、比較的なじみのある著名人、例えば竹久夢二や永井荷風、また俳優の大川橋蔵などのお墓が広い霊園に点在し、訪れる人は管理事務所で園内の地図を手に回られる方が多いようです。
最後に鬼子母神へと向かいました。安産・子安の神様として江戸の昔から多くの参拝客が訪れ、庶民の信仰を集めてきました。本殿は1664年に創建されたもので、区内最古の建造物だそうです。また参道の大ケヤキ、古いものは樹齢400年のものもあります。今では多くが植え替えられましたが、鬱蒼とした雰囲気はまだ健在です。境内には樹齢600年に及ぶ大イチョウもあり、秋にはあたり一面が黄金色の落葉の絨毯となります。
ここで今回の探訪は終了。帰路は学習院のキャンパスを見ながら、目白駅を目指して帰路につきました。
まずは護国寺の仁王門前に集合し、境内を散策。護国寺は五代将軍綱吉公が母である桂昌院の発願により創建した名刹で、大正時代の関東大震災や昭和の東京大空襲を経ても、数多くの江戸元禄年間の建物が現存しています。
本堂を囲むように、大隈重信や三条実美など幕末から明治期の元勲や政治家の大きな暮が点在しています。
次に明治時代にアメリカから日本に来日し、当時は新興住宅地と畑が散在する雑司が谷地区に、教会と幼稚園を建ててキリスト教の布教活動を行った宣教師マッケーレブが明治40年に建てた自宅が、今は豊島区の施設として一般に公開されています。静かな住宅街と緑に囲まれた洋館は、周りの景色に溶け込むように建っており、心休まるひと時でした。
宣教師館を出て間もなく行くと雑司が谷霊園です。ここには五高で教鞭をとった夏目漱石や小泉八雲の墓があり、奇しくも同じ場所に葬られていることに不思議な縁を感じました。この霊園は明治以降に整備されたことから、比較的なじみのある著名人、例えば竹久夢二や永井荷風、また俳優の大川橋蔵などのお墓が広い霊園に点在し、訪れる人は管理事務所で園内の地図を手に回られる方が多いようです。
最後に鬼子母神へと向かいました。安産・子安の神様として江戸の昔から多くの参拝客が訪れ、庶民の信仰を集めてきました。本殿は1664年に創建されたもので、区内最古の建造物だそうです。また参道の大ケヤキ、古いものは樹齢400年のものもあります。今では多くが植え替えられましたが、鬱蒼とした雰囲気はまだ健在です。境内には樹齢600年に及ぶ大イチョウもあり、秋にはあたり一面が黄金色の落葉の絨毯となります。
ここで今回の探訪は終了。帰路は学習院のキャンパスを見ながら、目白駅を目指して帰路につきました。
文責 曽根田
|東京武夫原会|2024年12月20日更新
師走らしい冷たい空気に包まれた12月8日の日曜日午後、熊大卒業生をはじめ熊本に縁のある12名が集まり泉岳寺およびその周辺の旧跡を見学しました。
泉岳寺は、仇討ちを成し遂げた赤穂義士たちのお墓があることで有名な寺院です。討ち入りのあった12月はこの事件を題材にした「忠臣蔵」が取り上げられる機会が多く、以前から一度訪れてみたいと思っていた場所でした。
泉岳寺の山門をくぐると、まず赤穂義士墓地を訪れました。墓地の受付で拝観料代わりの線香を購入し、着火してもらいます。47人の赤穂義士たちのお墓は、討ち入り後の預け先によって分けられ、主君のお墓の隣に整然と並んでいました。参拝に訪れた人々が供えた線香の煙が立ちこめる中、一人ひとりのお墓に刻まれた名前や年齢を見ながら義士たちの行動に思いを馳せ、線香を供えていきました。
続いて、境内の中にある赤穂義士記念館と義士木像館を見学しました。館内には、義士たちの遺品や木像、討ち入りに関する文献などが展示されており、事件の経緯や詳細を学ぶことができます。忠臣蔵に関するビデオも上映されていました。これまで断片的な知識しかありませんでしたが、忠臣蔵の内容と史実には異なる部分も多いことを知り、新たな発見がありました。これを機に、改めてその歴史について学びたいと思います。
その後、泉岳寺を後にし、熊本藩細川家下屋敷跡へ足を運びました。泉岳寺から徒歩数分の場所に47義士のうち細川家に預けられた大石内蔵助ら17人が切腹した地があります。細川家では義士たちを手厚くもてなしたと言われています。
普段、この場所は塀で囲まれ施錠されているため、中に入ることができませんが、扉の窓から内部の様子をうかがうことができます。扉の向こうは緑豊かな静寂な場所で、そこだけが別世界のようでした。この雰囲気の中、実際に切腹が行われたことを改めて実感しました。
さらに、少し離れた場所に進み、事件当時から屋敷内に立っていたとされる「旧細川邸のシイの木」の堂々たる姿を見学し、高輪大木戸跡へ向かいました。
高輪の大木戸は、治安維持等を目的に旧東海道の両側に石垣を築き、その間に門と柵を設置することで、江戸の南の出入口の役割を担っていました。現在は第一京浜国道沿いに東側の石垣だけが残されています。当時、この場所は海岸沿いで賑わいを見せており、その様子は浮世絵にも描かれています。現在ではビルが立ち並び、高輪ゲートウェイ駅付近の再開発も進んでおり、浮世絵に描かれた風景と見比べながら、時代の移り変わりを感じることができました。
見学会終了後は懇親会が開催されました。美味しい料理とともに参加者の皆さんと親睦を深めることができ、身体も心も温まり、充実した一日となりました。
事前の準備や当日の案内をしてくださった皆様、ありがとうございました。
泉岳寺は、仇討ちを成し遂げた赤穂義士たちのお墓があることで有名な寺院です。討ち入りのあった12月はこの事件を題材にした「忠臣蔵」が取り上げられる機会が多く、以前から一度訪れてみたいと思っていた場所でした。
泉岳寺の山門をくぐると、まず赤穂義士墓地を訪れました。墓地の受付で拝観料代わりの線香を購入し、着火してもらいます。47人の赤穂義士たちのお墓は、討ち入り後の預け先によって分けられ、主君のお墓の隣に整然と並んでいました。参拝に訪れた人々が供えた線香の煙が立ちこめる中、一人ひとりのお墓に刻まれた名前や年齢を見ながら義士たちの行動に思いを馳せ、線香を供えていきました。
続いて、境内の中にある赤穂義士記念館と義士木像館を見学しました。館内には、義士たちの遺品や木像、討ち入りに関する文献などが展示されており、事件の経緯や詳細を学ぶことができます。忠臣蔵に関するビデオも上映されていました。これまで断片的な知識しかありませんでしたが、忠臣蔵の内容と史実には異なる部分も多いことを知り、新たな発見がありました。これを機に、改めてその歴史について学びたいと思います。
その後、泉岳寺を後にし、熊本藩細川家下屋敷跡へ足を運びました。泉岳寺から徒歩数分の場所に47義士のうち細川家に預けられた大石内蔵助ら17人が切腹した地があります。細川家では義士たちを手厚くもてなしたと言われています。
普段、この場所は塀で囲まれ施錠されているため、中に入ることができませんが、扉の窓から内部の様子をうかがうことができます。扉の向こうは緑豊かな静寂な場所で、そこだけが別世界のようでした。この雰囲気の中、実際に切腹が行われたことを改めて実感しました。
さらに、少し離れた場所に進み、事件当時から屋敷内に立っていたとされる「旧細川邸のシイの木」の堂々たる姿を見学し、高輪大木戸跡へ向かいました。
高輪の大木戸は、治安維持等を目的に旧東海道の両側に石垣を築き、その間に門と柵を設置することで、江戸の南の出入口の役割を担っていました。現在は第一京浜国道沿いに東側の石垣だけが残されています。当時、この場所は海岸沿いで賑わいを見せており、その様子は浮世絵にも描かれています。現在ではビルが立ち並び、高輪ゲートウェイ駅付近の再開発も進んでおり、浮世絵に描かれた風景と見比べながら、時代の移り変わりを感じることができました。
見学会終了後は懇親会が開催されました。美味しい料理とともに参加者の皆さんと親睦を深めることができ、身体も心も温まり、充実した一日となりました。
事前の準備や当日の案内をしてくださった皆様、ありがとうございました。
以 上
佐藤和也(平成3年法学部卒)
|東京武夫原会|2024年11月18日更新
平成3年 法学部卒 後藤 勇治
秋風に誘われ、11月4日に黒髪キャンパスで開催された『熊本大学武夫原会大同窓会』ならびに大学が卒業生向けに主催する『第17回ホームカミングデー』に参加して参りました。
当日は快晴のもと、久し振りに赤門をくぐった瞬間に学生時代にタイムスリップ...。今は「紫熊祭(しぐまさい)」という名称となっている学祭の模擬店で賑わうキャンパス内を、呼び込みの学生に声を掛けられながら五高記念館に歩を進めました。
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五高記念館は8年前の熊本大地震で大きな被害を受けましたが、復旧工事が完了し不死鳥の如く蘇っており、キャンパスミュージアムとして内部も見学できます。当時の教室の机に座ってみたり、五高生の制服制帽や池田勇人元総理寄贈の大太鼓を目の当たりにし、古き良き時代の息吹に触れることができました。
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11時半より文・法学部本館にて挙行される『熊本大学武夫原会大同窓会』に向かい、34年ぶりに懐かしの大講義室へ着席しました。
先ず、熊大文学部を卒業し現在愛媛大学教授である村上恭通氏の講演会「人類・鉄との邂逅から“たたら”まで -ユーラシアのアイアン・ロードを追跡する-」を聴講し、古代製錬技術の西洋から東洋までの伝播を通じた歴史を学ぶとともに村上教授の研究に対するロマンを感じつつ1時間が瞬く間に過ぎました。
その後の式典では、武夫原会の深町会長の挨拶に続き、来賓として文学部長や法学部長などの大学幹部からの祝辞を頂戴して大同窓会は盛会のうちに終了しました。
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13時より『ホームカミングデー』の式典が行われる工学部キャンパスに移動し、小川学長より「熊本大学の更なる改革に向けて」と題した近況報告を拝聴しました。本学のビジョンとして、「地域と世界に開かれ、共創を通じて社会に貢献する教育研究拠点大学」を掲げており、今回のイベントのような卒業生に対するハートフルな対応を含め、非常にオープンな大学運営に努められていることに感心しました。
また、式典の中で、我が東京武夫原会の神崎会長が卒業生表彰を受けられた旨が披露されましたことも合わせてご報告させていただきます。
その後、工学部百周年記念館にて交流会が行われ、吹奏楽部の演奏やサークル紹介などで学生の参加もあり、アットホームな雰囲気のなか球磨焼酎を片手に学部や年代を越えて旧交を温めることができました。締めに応援団とチアリーダー部による五高寮歌「武夫原頭に草萌えて」の大合唱でお開きとなりました。
今回のイベントに参加して、緑豊かで歴史ある学び舎を持つ黒髪キャンパスが昔日のまま在り続けてくれていることに加え、今なお卒業生を温かく迎えてくれる大学関係者の方々がいらっしゃる母校に対し心から感謝の念を深めました。これからも母校のイベントや武夫原会での交流を通じて自らの覧古考新の糧としていこうと思慮しながら、立派になった熊本駅で桂花ラーメンを啜り九州新幹線に飛び乗って帰路に就きました。
|東京武夫原会|2024年10月23日更新
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令和6年10月20日、東京御茶ノ水の東京ガーデンパレスにおいて40回目となる東京武夫原会総会・懇親会が開催されました。
今回、53名の参加者は80才代から20才代後半の方まで幅広い年齢層にわたり、今年からハガキのよる申し込みの他に、メールによる参加申し込みも始めたこともあって、初参加の方が7名来て頂きました。
来賓の方々は熊本大学を始め、熊本大学武夫原会、熊本県・熊本市の東京事務所、熊本県人会、永青文庫、熊本学園大学同窓会東京支部の皆様です。来賓を代表して水元熊大副学長からは、熊大の現状と今後、50数年ぶりに相次ぐ新学部の設立に関する話題、最後に卒業生には今後とも物心両面でのサポートをお願いしたいとのお話で締めくくられました。
続いて永青文庫常務理事の林田直志氏の講演は、永青文庫にとって熊大との連携が膨大な収集資料の整理・解明に不可欠であることを強調されていました。特に大学での古文書の解読が、新たな歴史上の新事実や背景の解明に繋がっている事例を、沢山の写真とともに分かりやすく説明して頂きました。改めて永青文庫が担う役割の大きさを再認識させられました。
懇親会では各々久方ぶりに旧交を温めながら話が弾み、会の途中では大学の3学部長からのユニークなご挨拶や、内藤熊本県東京事務所長や守田熊本県人会からのご挨拶、又初参加者のスピーチ等が会を盛り上げて頂きました。最後は東京武夫原会の藤川さんが、自前で揃えた応援団のいでたちで中央に立ち、五高寮歌を全員で歌い、3時間半の楽しい集いを終了しました。
来年は10月18日(土)の11時から、今回と同じ東京ガーデンパレスで開催の予定です。皆さまのご参加をお待ちしています。
又今年2回目の東京歴史探訪は12月8日(日)14時に高輪泉岳寺の山門に集合し、泉岳寺とその周辺を巡る予定です。自由参加ですが予め参加される方の人数を把握したく、事前に下記のメールで参加希望の旨お知らせ頂ければ幸いです。
micchan1700@gmail.com

|東京武夫原会|2024年5月23日更新
5月18日の土曜日午後、絶好の行楽日和の中、熊大卒業生6人が集まり、文京区目白台にある永青文庫と隣接する肥後細川庭園を見学しました。
永青文庫は江戸時代から近代に至る細川家伝来のコレクションを展示する施設です。長年に亘って集められたコレクションは相当の数になるため、この永青文庫だけではなく、熊大の附属図書館や熊本県立美術館等にも保管されています。最近では薩摩に派遣された熊本藩の密偵の報告書がマスコミでも大きく取り上げられました。見学に際しては井戸下事務長にご案内して頂き、専門的な内容については学芸員の方からの説明も頂きながら、理解を深めることができました。
(この秋には「織田信長文書の世界』展が、永青文庫において9年ぶりに開催される予定です)
永青文庫の後は隣接する肥後細川庭園を見学しました。ここも見学ボランテアの方から詳しく説明を頂きました。幕末に肥後熊本54万石の下屋敷となりましたが、明治以降は細川家の住まいや学問所として使用され、現在は文京区が管理する庭園として、一般に公開されています。
庭園では肥後六花が植えられ、隣接する和敬塾(元は細川家下屋敷の一部)からの湧水が園内にある滝から回遊式庭園の池を満たし、地形の変化を生かした散策路が巡らされた園内は、とても都内とは思えない閑静な環境でした。
探訪終了後は有志で簡単な懇親会を行い、英気を養いました。
次回は都内の名所旧跡散策を秋頃に予定しています。このホームページでもご案内しますので、ご興味のある方の参加をお待ちしています。
文責 曽根田満
永青文庫は江戸時代から近代に至る細川家伝来のコレクションを展示する施設です。長年に亘って集められたコレクションは相当の数になるため、この永青文庫だけではなく、熊大の附属図書館や熊本県立美術館等にも保管されています。最近では薩摩に派遣された熊本藩の密偵の報告書がマスコミでも大きく取り上げられました。見学に際しては井戸下事務長にご案内して頂き、専門的な内容については学芸員の方からの説明も頂きながら、理解を深めることができました。
(この秋には「織田信長文書の世界』展が、永青文庫において9年ぶりに開催される予定です)
永青文庫の後は隣接する肥後細川庭園を見学しました。ここも見学ボランテアの方から詳しく説明を頂きました。幕末に肥後熊本54万石の下屋敷となりましたが、明治以降は細川家の住まいや学問所として使用され、現在は文京区が管理する庭園として、一般に公開されています。
庭園では肥後六花が植えられ、隣接する和敬塾(元は細川家下屋敷の一部)からの湧水が園内にある滝から回遊式庭園の池を満たし、地形の変化を生かした散策路が巡らされた園内は、とても都内とは思えない閑静な環境でした。
探訪終了後は有志で簡単な懇親会を行い、英気を養いました。
次回は都内の名所旧跡散策を秋頃に予定しています。このホームページでもご案内しますので、ご興味のある方の参加をお待ちしています。
文責 曽根田満
|東京武夫原会|2024年1月26日更新
昭和48年卒 曽根田 満
令和5年12月20日に、熊本大学で後期講義の一環として行われている『法学部生のキャリアデザイン』に講師として参加する機会を頂きました。
この講義は後期日程の間、15回にわたって主に2年生を対象に、法学部の卒業生や、各界で仕事をされている方々が1時間30分の持ち時間の中で、自らの体験談や仕事の内容を紹介し、これから就職活動に入る学生の参考になるようにと大学で企画されたものです。昨年まではコロナ禍ということもあってWEBによる講義でしたがコロナの5類移行に伴い、今年から対面での講義となりました。
事前に大学に伺った話によると、近年の熊大法学部の学生は学部人数220名のうち、約半数が女性であること、九州・山口地区での就職者数が80%、公務員になる人が約半数と、50年前に卒業した小生にとっては時代の変化を考えさせられるデータばかりでした。
当日は法学部本館で凡そ200人の学生が参加しましたが、皆さん熱心に聴講していました。当方からは『自分自身の就職体験談』『39年間勤務した企業と、その後任官した調停委員で学んだこと』『人口減少の日本でこれから起こること』『日本の国家予算』について話をしました。テーマが盛り沢山の上に話の幅が広くて、『消化不良気味になるのでは』と心配しましたが、最後まで熱心に耳を傾けてくれました。
最後に質問の時間を15分ほど設けましたが、4人の方から「調停離婚」や
「地元就職」「将来の夢」に関するコメントがあり、日頃から問題意識を持って取り組んでいる姿勢が伺えたことは、小生にとっても励みとなりました。
このような先輩諸氏との機会を通じて、後輩の皆さんがより広い社会を知る一つの契機になってくれることを願っています。
|東京武夫原会|2023年10月13日更新

令和5年10月7日、東京御茶ノ水の東京ガーデンパレスにおいて第39回東京武夫原会が開催されました。
2019〜2021年の3年間は台風やコロナ禍で中止となり、昨年ようやく開催の運びとなりましたが、総会・懇親会あわせて2時間、会食も個食、座席毎に仕切り板というコロナ禍の対応でした。
それだけに今年の開催にあたっては、コロナ以前のやり方に戻すのではなく集まって頂いた会員の皆様方が、旧交を温め、暫くぶりの再会にゆっくり時間を過ごして頂くための時間を設けることに配慮しました。
具体的には来賓の人数を絞り、総会も含めた説明や挨拶の時間を短くしました。冒頭神崎会長が主催者を代表して手短かに挨拶をされた後、小川学長からの「熊本大学の現状とこれからの展望」に関する講演、並びにNHKプロデユーサーで NHKエデュケーショナル所属の秋満吉彦氏の「人生に流れる水脈 八雲・漱石・熊本大学」の講演をして頂きました。参加された皆様が日頃から大いに関心を寄せているテーマだけに、瞬く間に時が過ぎた気がしました。
今回の参加者は来賓も含めて53名、コロナ前の70名台には及びませんが、これから日頃の同窓会活動を通じて、特に若い皆さんへのアプローチを図って行きたいと思っています。今回の小川学長の講演の中でも「熊大は研究や教育の充実は着実に進んでいるが、社会に対する知名度が今ひとつ低い。これはOB・OGの同窓生間の交流が余りないことに起因しており、この点は私立大学の活動に学ぶ必要もある」と述べられています。東京武夫原会としても大学・熊大武夫原会と共に、卒業生の連絡網をより充実し、『世の中でしっかり頑張っている先輩』をいろんな場面で紹介しながら、学生や若い卒業生の目標にしてもらえるよう、務めていきたいと思います。
会の締めくくりは定番の五高寮歌及び巻頭言ですが、近年巻頭言をやれる人が少なく、聞けば今の熊大生で五高寮歌を聞いた事もないし、歌った事もない人も珍しくないとのことです。この東京武夫原会でも巻頭言をどうするか議論がありましたが、藤川さん(平成2年卒)が『私がやりましょう』と手を上げて頂き、衣装や帽子も自前で手当てをして頂いて、手作り感溢れる立派な締めくくりとなりました。聞けばユーチューブで相当練習をされたとのこと。来年も是非期待したいものです。
来年の総会・懇親会は今年と同じ会場の御茶ノ水の東京ガーデンパレスで10月20日(日)の11時から14時半の予定で行われます。どうぞ奮ってのご参加をお願いします。
同窓会の案内状は皆さまが登録されている連絡先に送らせて頂いています。近年、もともと連絡先を登録されてなかったり、かって登録していても転居された時点で連絡先が分からなくなっている方が多くおられます。
このホームページを見られた方で、上記のような方がおられましたら連絡を頂ければ幸いです。
文責 曽根田満


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