証券不況のために会社を依願退職して大阪市立の商業高校に商業科教員として転職しました。伝統のある東商に異動できてとても嬉しく思いました。東商は活気があり、部活動もとても活発で対外試合も実践があって充実していました。ウォーキングテスト、遠足、体育祭、文化祭などは張り合いがあり楽しい思い出を沢山頂きました。
同窓会はすこぶる熱心で、出席したとき、当時のことがさわやかに懐かしくよみがえってきます。
異動の府立高校で社会科を担当しましたが、必修クラブでは算盤を担当しました。30人のクラブ員と久し振りに算盤の感触を楽しみました。
定年退職後は、信託銀行、大学入試広報課を経て、小学校「いきいき」に勤めて児童と遊び語らい楽しく過ごしました。
浅利 守光先生<昭和58年~昭和63年>
松江 靖朝先生<昭和60年~平成7年>
令和5年、今年の夏は、猛暑というより酷暑の毎日でした。そして期待していた秋はあっという間に通り過ぎ寒すぎる冬の到来でした。素晴らしい四季の有る日本から二季制の別の国に来たようです。
世界に目を転ずると、例えば、ロシアのウクライナ侵攻・イスラエルのガザ地区攻撃と色んな地域で色々な争いが絶えません。アメリカではトランプの再来予測で自国第一主義優先で世界の平和や気候変動は、二の次という風潮が世界中で懸念されています。これからの社会は、世界は、日本はどのように変遷してくのでしょう。心配が山積しています。
私個人も体中の至る所にガタが来て難儀しています。白内障でもない、緑内障でもないと眼科の先生からは言われているのですが、大変見え難いのは事実。加齢だから仕方がないのでしょうか。しばらく前に書いた書に『白馬(はくば)芦花(ろか)に入(い)る』と、いうのがあります。一面に白い蘆の花の中に、白馬が入ったらまるで見分けがつかないが、蘆花と白馬は別のもの。類して等しからず。似たように見えても同じものではないのですから、丁寧に気持ちを説明する事が大事なのです。丁寧に現実を分析していく事が大切なのでしょう。
毎日1時間妻との散歩。月3回の詩吟教室での練習。これらを大切にしていく事が、日々の営みを大事にする事に繋がるのでしょう。
支離滅裂ながら、最近思う事を、した貯めました。
最後に、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
髙橋 保博先生<昭和63年~平成3年>
十干は草木の発生、繁茂、成熟、伏蔵の過程を十段階に分かけて名付けたものである。
十二支は、本来は正月は子、二月は丑と言ったふうに十二か月の順序を示すための単なる符号であった。しかし、そこに人々は期待を込めて動物としてのイメージを膨らませたのである。
令和6年の干支の「甲辰 」(きのえたつ)についていえば 、「甲」は種子がまだ厚い皮をかぶっている状態をさし、「辰」は、陽気が動き生物の活力が旺盛になる状態を示している。このことは、令和6年が明るい時代へと躍動できる年であることを暗示している。 政治や経済、人々の生活などが明るい世界へと抜け出せる年であり、 躍進が期待できる年であることをそれとなく示している。
我々は、令和6年に大いに喜びを感じたいものである。
米川 進先生<平成5年~平成19年>
東商業高校を離れてから早や17年。その内の14年間は大阪市の小学校でのいきいき活動で子供達と宿題等の勉強や校庭での遊びなど楽しく過ごさせて頂きました。3年前に全て退いて家での生活が続いております。
今は午前中にその日の夕食の献立を考え、買物に行きます。冬の季節はあまり外には出ませんが、年に2~3回、先生方や卒業生の教え子達と同窓会をやっております。昔ながらの話に花が咲き、時間の過ぎるのも忘れます。
新しい年を迎え、優雅な人生を歩んで行きたいと思います。これからも前向きに生きたいと思います。
最後になりましたが、東商同窓会の発展と皆様方のご健勝とご多幸をお祈りしております。
市田 淳先生<平成13年~平成14年>
私は今年の3月をもって大阪市のいきいき活動室の退職を迎えます。学校の定年後第二の職場として早くも15年が過ぎました。この間、東住吉、生野、都島、淀川各区8校のいきいき活動室を経験してまいりました。とりわけ都島区友渕分校小学校は、学年9クラス規模であり、一日100名を越える児童が参加しておりました、地域からの協力もあり、毎月のお誕生日会にボランティアの方にハーモニカ演奏をしていただきました。楽しい思い出のみならず、活動中の怪我や骨折などもありました。冬休み中、外出もできず、家の中にいた児童にクリスマスにケーキを届けたこともありました。活動のモットーは常に子どもの気持ちに寄り添うこと。当初、東住吉区のいきいきに勤めたころ、校区でハーモニカを教えていただける機会がありました。このことがきっかけとなり、生駒市でハーモニカ同好会に参加し本格的な趣味となりました。いきいき活動でのハーモニカ演奏のみならず、東住吉区の老人ホームで演奏ボランティアとして月1回、訪問していましたが、コロナに被災し、訪問演奏もできなくなりました。
80歳からの人生の歩みとして、「子どもたちに夢を!」いきいき活動室でのボランティア活動。ハーモニカや篠笛さらにパーカッションを加えた演奏活動をしたいと夢に描いています。
竹内 正己先生<平成11年~平成22年>
船城 英教先生 <平成11年~平成22年>
東商ジャージで寒い中頑張った気持ちを忘れず、これからも皆さん元気におすごしください。
兵頭 英樹先生<平成18年~平成19年>
玉岡 照宏先生<平成19年~平成21年>
私が他職から一念発起 (?)し大阪市教員として採用されたのがこの年、昭和60年であった。優勝のその日同僚の先生方と道頓堀に繰り出し、祝杯を挙げ周囲の人たちと意気投合して「六甲おろし」を大熱唱したことが思い起こされる。若かったというべきか!既に古希を越えたが、まだまだいろんなことにワクワク、ドキドキし、また時には小さなことにもイライラしたり、腹が立ったりする。彼の孔子は言う。「我七十にして己の欲するところに従えども矩りを踰えず」と。善悪の壁を犯すことはないが、自分の感情や欲を完璧にコントロールすることはまだまだのようだ。しかし、未熟だからこその充足感はある。
今、勃発している二つの戦争が一日も早く終結し世界平和が訪れることを望むとともに、また今年から続く「アレのアレ」や大谷選手の活躍、パリ五輪、大阪万博など興味津々。己の趣くままに生きることも健康長寿の秘訣かもしれない。



