このページについて

 大阪女学院を卒業された会員の方々のページです。
学生時代の思い出、学校のこと今のこと、題材は自由です。ホームページ委員会で検討の上掲載させて頂きます。まずは原稿をお送り下さい。お待ちしております。

7月17日日曜日、ザ・リッツカールトンホテル大阪にて「大阪女学院高校1986年卒業生同窓会 ”30th anniversary”」を開催いたしました。

一次会は10名の先生がたを含め165名の方々にご参加いただき、引き続き同会場で行われた二次会にも、97名の方にご参加いただける大盛会となりました。

30年のブランクも一瞬のうちに吹き飛び、大盛り上がりで嵐のようで、夢のような素敵な時間となりました。

ご参加いただいたみなさん全員の輝きに満ちた表情に、改めて大阪女学院パワーの偉大さを実感しております。

また、これを機会に、そこかしこで小さな同窓会が勃発していることも大変うれしく感じております。

                                                (報告 大谷千鶴)

1986年卒学年同窓会(2016/07/17)

同窓会室 | コメント(1)



  初夏を思わせる快晴の下、1995年卒業の60数名が懐かしの母校に集まりまし 
  た。

  総会の後は先生方もお呼びして学年同窓会へ。数十年のブランクなんてなんの
  その、一瞬で女学院生に戻った私たちでした!!この日集まれなかった多くの
  友人たちとも女学院でつながっていることを皆で再確認し、次の同窓会は10年後、ひとりでも多くに声をかけてまた集まろうと約束を交わし、解散しました。

同窓会役員の皆さま方の計らいで、このようなかけがえのないひと時を母校で

過ごさせて頂きました。この場をお借りし、学年を代表して心よりお礼申し上げます。

                        

                                                                         学年代表 西村涼子


事務局:崔 | コメント(0)
女学院スピリット!!!
2016年3月26日土曜日
1987年卒S3Hのクラス会を、担任の織田牧夫先生をお迎えして
ウヰルミナハウスで開催しました。
卒業から29年。19名の同窓生が顔を揃えました。
卒業してからの近況報告に2時間半。
山あり谷ありの人生。子育てほぼ終了、真っ最中。
生と死の話も…
仕事してる人も、していない人も
パワーに満ち溢れていました。
女学院で学んだことは、自由には責任が伴うこと。
置かれた状況に順応し、その場で活かされること。
改めて感じた時間でした。
あっという間に高校時代にタイムスリップ。
場所を移し、2次会、3次会。
時間の許す限り、食べて、話して。
時間が足りない。まだまだしゃべりたいことはたくさんあるのに。
近いうちに女学院で再会ね。

87年卒S3Hクラス会写真
同窓会室 | コメント(0)
同窓生の皆さん、2015年12月にお届けした今年度の会報はお読みいただいたでしょうか。
「クラス会便り」(14ページ)に投稿いただいた「S37卒 河本睦子さんを囲んで」で、ハンセン病患者で詩人の塔和子さんと河本さんの交流のことが語られています。会報では紙幅制限上、原稿を要約させていただいたので、投稿全文と資料をこのホームページに掲載しています。

この河本さんのエピソードが、『隔離の記憶』(高木智子 2015年7月発行 彩流社)という本でも紹介されています。
「1959年の夏だった。キリスト教系の大阪女学院高校で、講演会が開かれていた。」と、そこから始まった塔和子さんと塔さんが“ツコちゃん”と呼んだ河本さんとの長年のかかわり。その物語が詳しくレポートされています。
S29卒の河村偕子さんと小笠原成子さんがこの情報を寄せてくださいました。ありがとうございました。


会報編集委員 島田由香
事務局 | コメント(0)
S37卒 金持登久子さんから「クラス会便り」の投稿です。
2015年度会報(12月1日発行)の「クラス会便り」では、紙幅の都合上、ご了承を得て要約したものを掲載し、寄せられた全文と写真・資料はこのホームページで掲載させていただきました。
————————————————————————————————————————-

「ヘールチャペル」

 小宮山先生から河本睦子さんの話を是非とも聴きたいのだが、10名ほどで……との希望がよせられました。
 私達が高校1年生の時ヘールチャペルで行われた講演会は、ハンセン病患者についてのお話でした。ハンセン病の人達の療養所での生活、強制隔離、家族との悲劇、らい予防法、偏見、差別等の実態を知った河本さんは驚き憤りを覚えたそうです。講演の最後に入所者の方との文通相手を募られたのですが、名乗り出たその中の1人が河本睦子さんでした。河本さんの文通相手の「塔 和子」さんは、1999年、第29回高見順賞を受賞された詩人です。その後2011年には「塔 和子」のドキュメンタリー映画「風の舞」が上映されました。
  文通を始めた当時16歳だった河本さんに届く手紙には詩が書かれて来るようになり「詩集を出したい」という言葉が多くなったそうです。河本さんはただ塔さんが喜ぶだろうとの思いからお父さんに相談されたそうです。
 塔さんから送られてきた34編の詩を読み終えたお父さんは詩集の製作にのめり込んで行かれ心をこめて作られたそうです。そして第一詩集『はだか木』は河本睦子さん父子の協力により1961年11月3日出版されました。
 河本さんは塔さんと出会って後54年間共に歩んで来られました。(塔和子さんは2013年8月天国へ召されました) 在校時まだ柔らかい心の頃、それらの機会を作り与えてくださった大阪女学院の教育と先生方に今も感謝しています。「本当に大切なものは何か」を教えて貰い、その後の人生に「生きる大きな力」になりました。と、語ってくれました。
 河本さんのお話を聴き終えて、人は誰かに力を貰って生きていくものだから。と、ある演出家が書いていたのを思い出しました。70年の歳月を振り返り見つめれば折に触れ誰かに力を貰いながらここまで来られたのだと思うのです。その日の力はヘールチャペルの延長線上にありました。

S37卒 金持登久子



資料(クリックで拡大)




事務局 | コメント(0)
S43年卒  田中   美知子
  
 第14回ハンドベル世界大会が8月3(火)~7日(土)、中之島の大阪国際会議場で開催されました。テーマは”Echoes for Peace”(平和の響き) 日本各地はもとより、世界12カ国からハンドベル愛好家1200名が集まり、平和を願い、祈りと讃美の楽器といわれるハンドベルの演奏に心を一つにしました。今回の大会には私は「大阪女学院ヘール会ハンドベルクワイア」としてヘール会のお母様方12名とご一緒に参加しました。これは大阪女学院中学・高校に通う保護者によって「子どもたちの在学中、保護者としての大阪女学院時代を過ごしましょう」と1990年に結成され、毎週練習をしています。
 ハンドベルは教会から生まれた楽器の性格上、大会といっても1位、2位を決めるコンクールではなく、それぞれが聞き合い、学び合い、交流するということが第一の目的とされています。大会初日には日本ハンドベル連盟理事長の日野原重明氏の「日本人の生き方と平和」と題した講演会があり、その夜には1200名がバスに乗り込み、神戸花鳥園において「ファン・ナイト」と題してバイキングによる夕食会と小さなプレゼント交換をしてご挨拶を交わしました。日本語、英語、韓国語・・・と様々な国の言葉での交流でした。
 2日目からは、最終日に行われる”ファイナルコンサート”に向けての練習開始です。各国を代表する指揮者の選曲した7曲を3カ国語の通訳のもとにすすめられていきます。
 ある日の午後です。順番がきて私たちはスコットランド民謡「アニーローリー」を演奏しました。・・・その演奏を終えたときです・・・
 一人のご婦人がわたしのところにとんできてくださいました。「私、大阪女学院の卒業生なんです。大阪女学院と聞いて嬉しくなって・・」と頬を赤らめ、満面の笑みを浮かべて私にご挨拶下さるのです。その一言で一瞬にもう心は同窓生でつながりました。そのご婦人は少し小柄で、可愛く、明るくて若々しくて素敵な方で、”西東京ハンドベルの会”に属しておられるS30年卒の岩田牧子さんでした。
 広島に原爆投下された8月6日(金)の朝には、みなで平和を祈り願う礼拝の時をもちました。また、プログラムの最後には全員で千羽鶴を折り、大会後に訪れた広島の平和記念公園での演奏ツアーチームに託しました。言葉や文化を超えた友情がハーモニーとなって響き合い、平和の響き・祈りとなって、人々の心に届いたことでしょう。
 2年前、アメリカでの世界大会では同窓生の藤村(市川)滋子さんにお会いしました。お目にかかったこともない先輩が”私も大阪女学院の卒業生よ”と話して下さるそのお顔にはお互いにその”誇りと喜び”が光り放つ瞬間でした。ベルの響きとともにつながった思いがけない出会いと喜びの時でした。2年後イギリスのリバプールで開催される大会で、また次の出会いが楽しみです。
ホームページ管理 | コメント(0)